- 2011年、アメリカ
- 原題:J.Edgar
- 監督:クリント・イーストウッド
- 脚本:ダスティン・ランス・ブラック
- 出演:レオナルド・ディカプリオ、ナオミ・ワッツ、ジュディ・デンチ、アーミー・ハマー
DVDで鑑賞。
ジョン・エドガー・フーヴァーFBI長官の伝記映画。
1919年、アメリカでは共産主義に傾く過激派によるテロが相次いでいた。パーマー司法長官宅が爆破されたのをきっかけに、司法省は特別捜査チームを編成、24歳のフーヴァー(ディカプリオ)がチームを率いることになる。
過激派対策で成果を上げ、フーヴァーは司法長官にも認められるが、共産主義の脅威から国を守るということが強迫観念となる。組織の合理化、科学捜査班を作るなどFBI長官として手腕を発揮する一方で、盗聴など法に抵触しかねないことも行いつつ、自らの「国を守る」という信念の下仕事を続けていく。
信頼できるのは秘書ヘレンと副長官のクライド・トルソンだけ。そして、フーヴァーにとって心の支えは母親だった。
1960年代、老いたフーヴァーが自伝を口述筆記させようと速記者を呼ぶところからはじまる。彼が語る過去の出来事が映像で表される。速記者と会っていないときは、その当時のフーヴァー長官の姿が描かれる。
フーヴァー長官にとっては、1960年代の公民権運動の盛り上がりや、ベトナム反戦運動の激化は、米国内で共産主義者によるテロが多発した時代がまた戻ってきたように見えており、かつて過激派のテロから国を守ったと自負する彼は、司法長官に過激思想家の取り締まりを進言するのだが、ロバート・ケネディにはフーヴァー長官の言うことは時代錯誤に聞こえている。フーヴァーは、その気配を察し、自分は盗聴テープを持っているんだぞとちらつかせる。国を思う信念はホンモノだが、いやらしいところもある人物なのだ。
イーストウッド監督の狙いとしては、ここでの左翼過激派をイスラム過激派に置き換えると、現在のアメリカ社会で起こっていることと重なる面があり、国をテロから守ることと人権侵害の危険性との折り合いをどうつければいいのかという難題を思い起こさせたかったというのがあるのではないだろうか。簡単に割り切れることではないのだが、常に頭に置いておかないといけないことだから。
フーヴァーは、過激派を抑え込んだ後は、禁酒法時代に勢いづいたギャングたちを取り締まり、世間の注目を集めたリンドバーグ誘拐事件の犯人逮捕に血道をあげる。このリンドバーグ誘拐事件は今も謎の多い事件として語り継がれているもので、すっきり解決したとは見なされていない。FBIの活躍が映画やマンガで描かれ、大衆にヒーローとして受け入れられていくフーヴァー。前のめりのフーヴァーを心配しながら見守り補佐するクライド・トルソン。同性愛的な関係だったとも伝えられるが、ほんものの友情で結ばれた二人として劇中では描かれている。秘書になるヘレンも、結婚に興味がなく仕事第一ということでフーヴァーとは波長があう有能な人ということになっており、母親との強い結びつきも異常というほどではない。イーストウッドはフーヴァーを立体的な人間味のある個人としてとらえており、ディカプリオが見事にそれを演じている。
オリバー・ストーンの「ニクソン」でのフーヴァー長官はかなり戯画化した描かれ方だったのを思えば、この映画では欠点も見せながら全体にはリスペクトの念を感じさせられた。そしてニクソンに悪役をおしつけて終わったように見えたのね。
オリバー・ストーンの「ニクソン」は、主役がニクソンでしたからね。ニクソンを多面的に描き出して、単純に悪役で終わらせてなかったんですよ。しかし嫌われ者のニクソンは、アンソニー・ホプキンスというイギリス人に演じさせていました。顔、似てないのにね(キッシンジャーはそっくりさんみたいな役者にやらせてたのに)。この「J・エドガー」に出てくるニクソンは非常に顔を似せて、そっくりさん大会みたいになってました。そこにイーストウッドのニクソンへの悪意を感じました。気のせいかもしれませんが。