- 作者: ポルノ被害と性暴力を考える会,イダヒロユキ,梅山美智子,岡野八代,角田由紀子,西山千恵子,前田朗,宮口高枝,宮本節子,森田成也,横田千代子
- 出版社/メーカー: 信山社
- 発売日: 2013/09/10
- メディア: 単行本
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内容のあらましを紹介します。リストは章の小見出し。興味を引かれた方はぜひ本書をお読みになってください。
はじめに――問題の発端と経過(ポルノ被害と性暴力を考える会:PAPS)
「ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS)」
2009年5月に結成。
ポルノには被害者はいない、したがって「表現の自由」の許容範囲だとする俗説に対抗して、実際にポルノ被害が起きていることを社会に訴える活動を続けている。
結成のきっかけは、理論社がバクシーシ山下『ひとは、みなハダカになる。』と出版したことに対する抗議運動。
暴力AVの監督が青少年向けの性の啓発書の著者に起用されることは、これまでの表現分野での棲み分けが崩れ、一部で問題視されてきた暴力AVが“当たり前”のものと見なされる事態を招くのではとの危惧が性暴力被害者の支援に関わる人々の間に広がり、理論社への抗議となった。
今回、森美術館が会田誠展において、「犬シリーズ」をはじめとするこれまで美術界でも物議を醸してきた問題作を公共的な性格を強くもった場に無批判に展示することは、理論社が無思慮なままバクシーシ山下を起用したことと同様、性暴力表現を“当たり前”のものと大勢に甘受させる流れを後押ししてしまう危険があることに気づいてもらいたいとの思いから、森美術館に対して抗議することとなった。
(性暴力表現への鈍感さは、性暴力被害者への鈍感さにつながる傾向がある)
第1部 森美術館問題、私はこう考える
イダヒロユキ「性暴力被害者の声に耳を傾けず主流秩序にいなおる森美術館」
- 主流秩序の観点
- 会田作品をどこから評価するか
- 抗議への批判に対して
主流秩序が現実にもたらしている差別や抑圧に意識的になった上で、会田誠作品を鑑賞すると、その表現はどう見えるのか。
「表現の自由」は、主流秩序の下位の者が、主流の考えに対して異なる意見を言うことの保障となるからこそ大事なのであって、差別容認/差別拡大を擁護するためのものではない。
森美術館には美術展の主催者として、抗議の声を受け止めて、議論を続けていく責任がある筈だ。
梅山美智子「男性雑誌と性表現」
かつては男性雑誌の片隅にマニアックなポルノとして登場するに止まっていたものと同様のモチーフの作品が、森美術館である種の権威に組み入れられ、芸術作品として公然と展示されている。
筆者は自身が過去男性向け雑誌の編集に関わった経験を踏まえ、ここ20年ほどの日本での性表現の流通様態の変遷(コンビニからインターネットへ)とアダルトコンテンツを扱う現場が外部からの要請にどう対処していたかを振り返る。
そして、発信側には「表現の自由」があるとされるが、そのコンテンツによって尊厳を傷つけられる人たちのことを配慮する必要が生じているとき、市民に何ができるかを考える。
岡野八代「何に、私は危害を感じているのか?――森美術館問題とヘイトスピーチ」
- 女性差別の問題として
- 不平等を固定化する、集団に対する憎悪表現
- 社会に対する攻撃としての、憎悪表現
- 尊厳を守るとは、何を守るのか
- ヴァルネラブルな集団の、平等な社会的地位を保証すること
会田誠展に関する情報に接した際、筆写は足もとがぐらつくような不安感におそわれた。この底抜けの不安感はいったい何によりもたらされたのか?
ジェレミー・ウォルドロンの『ヘイトスピーチにおける危害』を参考にしつつ、その不安の源泉を探ろうと試みる。
ヴァルネラブルな集団をおとしめる公表された言葉や公示されたイメージが持続的に存在する社会は、そこで生きる市民から何を奪うのか。
西山千恵子「「芸術」の驕りと女たちの沈黙」
昔から視覚芸術の領域は男性に支配され続けており、女性は客体化され、鑑賞した女性が違和を表明したところで芸術が理解できない者として切り捨てられ、芸術という免罪符を手に入れれば何をどう描こうと責任や非難をまぬがれられるシステムが出来上がっている。
芸術が権威となり、権威の側が会田誠展鑑賞の作法として作品を諧謔やアイロニーとして捉えよとルール化することで、作品への抗議の声がルール破りとして封殺されてしまう、この構図を変えることはできないものなのか。
前田朗「ジェンダー・ヘイトスピーチを考える」
多くの国々でヘイトスピーチは犯罪とされている。
差別、暴力、迫害の煽動につながる危険性があると見做された場合、処罰される。
差別、暴力、迫害の対象にされやすいのは、マイノリティである。
宮口高枝「森美術館・会田誠展への港区での請願経過」
- 港区には男女平等参画条例がある!
- 港区長への声欄投稿と回答
- そして港区議会への請願書提出へ
- 請願趣旨説明・資料提出時の顛末
- 趣旨説明と議会の反応
- 議会は市民の側に立ってこそ、民主主義が育つ!
筆者は港区の男女平等参画センターの運営協議委員会の委員をしている。森美術館の会田誠展では児童ポルノ的作品が公然と展示されていることに疑問を持ち、男女平等参画条例のある港区であのような展示行為が見過ごされていいのか、と、署名を集め港区議会へ請願書を提出した、その経緯と結果について。
第2部 第1回討論集会(2013年2月5日)
宮本節子「芸術表現と人間の尊厳」
- 私の立場について
- “人間一般”から排除される女性
- 女性の尊厳と「犬」シリーズが象徴するもの
- 個人としての抗議の呼びかけとその後の展開
- 美術の世界での女性の性の扱われ方
第2部 第2回討論集会(2013年3月23日)
第3部 資料編
感想
何人かの筆者が指摘した問題点は、強者によって乱用される「表現の自由」です。
民主主義社会において表現の自由が尊重すべきものとされているのは、それが国家権力や大企業に対する市民からの批判が可能であることを保障するものだからです。
ひいては、少数派や社会的立場が弱い人たちも、自分の意見を表明することができ、それができることで社会は差別や偏見を是正する可能性を持ち続けられるからなのです。
すると、公の場でなされた表現に対して、市民が言論によって批判したり抗議したりすることも、市民にとっては表現の自由の行使のひとつであり、表現を発信した側は市民からの反響を受け止めて自身を見直すことが求められるわけです。
ところが現状では、発信する側には表現の自由は所与のものとされており、しばしばその「表現の自由」をふりまわして、市民からの抗議や反論を排除してしまうことがよく起きるのです。
とりわけ性的表現の中での女性の描かれ方に対しての抗議には、ろくに相手が訴えていることに耳をかそうとすることもないまま、女がわけのわからぬことを言っていると切り捨ててしまうことがあまりにもあたりまえになってしまっており、表現のはらむ問題として認識することを回避し続けたまま今日に至っているのです。
今回、森美術館の対して抗議の声を上げた人たちには、そうせざるを得なかった理由があったわけですが、それも十分伝わらないまま、うるさいフェミ、というレッテル貼りがされて、ネット上でも言っていることをよく知ろうとしないまま偏見の下に切り捨ててしまっている反応が目立ちました。
抗議を受けた森美術館は、一応PAPSと話し合いの場を持つことになりましたが、本書でその報告を読む限り、おざなりな対応をしただけに見えます。
抗議の悲鳴を上げたのは極一部の女性だと言われるかもしれませんが、それなら表現作品を公示してまで自己顕示する男性も極一部ですし、表出した抗議や表現の背後には共感する人たちがそれぞれ一定数いるわけです。
私は映画や美術展を観るのが好きで、普段は視覚的表現の中で女性がエロチックに描かれているのを見ても表現の一部としてそのまま受け止めてしまう方ですし、視覚表現の分野で男性作家が女性を対象にする例が多いのは、女性にくらべると男性のほうが生命体としての世界からの疎外感が深刻なせいなのかと想像してしまったりもするので、表現者である男性が表現作品を通してあらわにする男性性を一概に差別的だと捉えることはできないと考えますが、しかし、それが絶対である、そこにこそ意味がある、と雑駁に言い切るのもおかしいと思うのです。
森美術館が「天才」と持ち上げ、大々的に美術展を開催したら、一部の女性たちから切実な抗議が来た。それは何故なのか。
そのことがもっと話題にされ論じられなければ、美術を通して対話と議論の契機を生み出す、という美術館の存在意義はあってないようなものになるのではないでしょうか。
そしてこれは、会田誠という作家への評価にも関連してきます。女性の裸体を描いた作品はめずらしくもない。それなのに何故、会田誠の絵が一部の女性たちからこれだけ非難されることになってしまったのか。それは彼の作品の質によるのではないでしょうか。批評家はこの点をもっとていねいに解き明かさなければならないのでは。
刺激の強い作品はゾーニングしておりますから、でいいのでしょうか。
ポルノならそれでもいいのかもしれない。でも、天才・会田誠の作品はポルノとは似て非なる芸術作品なんですよね? だから森美術館で展示されたわけですよね?
そういう面についての森美術館や学芸員の考えをもっとくわしく知りたいです。抗議に対して学芸員がだんまりを決め込んでいるのがいちばん不気味だった事件と言っていいかもしれません。
関連
- 真摯に美術展を鑑賞した人の声(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130129/p1)
- 倒錯(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130130/p1)
- 森美術館問題から思い出した小説(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130208/p1)
- 週刊金曜日「森美術館問題を考える」(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130301/p1)
- 週刊金曜日「森美術館問題を考える」 続き(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130316/p1)
- 週刊金曜日「森美術館問題を考える」その3(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20130323/p1)
- 「『週刊朝日』差別報道から一年」 週刊金曜日969号(2013年11月22日)(http://d.hatena.ne.jp/nessko/20131122/p1) # 記事中でこのブックレットと宮本節子『ソーシャルワーカーという仕事』 (ちくまプリマー新書)の紹介をしています。