週刊金曜日のろくでなし子のマンガを読みながら

http://www.kinyobi.co.jp/
ろくでなし子『ワイセツって何ですか? 「自称芸術家」と呼ばれた私』では、逮捕時の様子が描かれていますので、アートに興味ない人でも実録ものがお好きならぜひ読んでみてください。
表現者としてのろくでなし子の「まんこ」に対する考えは、本を読むのが好きで理屈をこねるのも好きだった十代を送った女子であれば、私もそう思ったことがあるというようなものだろうから、共感する人も多いだろうと想像できます。彼女がそれをどう表現で伝えるかはこれからのお楽しみですよね。
それは、それとして、ちょっとひっかかるものも私にはあるのです。
この、ろくでなし子逮捕事件については、『世界』860号(2014年9月号)で澁谷知美がとりあげていました。http://www.iwanami.co.jp/sekai/
その記事は、日本外国特派員協会で行われた記者会見の模様からはじまります。

記者会見場に、「まんこ」の言葉が何度も響きわたる。発言しているのは、帽子をかぶったアーティスティックな雰囲気をただよわせる女性だ。横にいる男性は流暢な英語で vagina と訳すのだが、文脈によって日本語そのままの「MANKO」も使う。英語なまりの「マンコぅ」の発音に、女性は下を向き、こらえきれない様子で笑いをかみ殺している。
(引用元:澁谷知美「ろくでなし子逮捕があぶりだす社会の人権感覚」『世界』860号(2014年9月号)p37)

私はこれを読んだとき、「まんこ」を vagina というのか、c**t ではないのか? と疑問に思った。「ちんぽ」が c**k なら「まんこ」は c**t ではないのだろうか。日本語には、男性器、女性器、陰茎、女陰、など、いろいろな言い方がある。「ちんぽ」や「まんこ」は幼児語や俗語の部類だろう。
(追記 2014-11-04 :おまんこ=cunt だろ?(文脈によってはpussyに近くなるが、pussyは、場合によっては「あそこ」に似てくるね) 日本語にうといガイジンが誤解してomanko連発するようになると困るから、ちゃんと意味合いを伝える英語に置き換えてくれ、通訳さんは。)
ろくでなし子の考えとは別に、場合によっては「まんこ」は女性に対する侮蔑や罵倒を表すことばとなり、この言い方を嫌う女性もいるのは事実だ。このような言い方でバカにされ傷つけられおとしめられる危険の大きい立場にいる女性も一定数いる。
表現の自由ばかりに焦点を当てて、そのことが忘れられてはならない。
その『世界』の記事で、さすがに澁谷知美は、たとえば会田誠のいくつかの絵のような男性による性的な表現と、ろくでなし子の表現に対する社会の対応の差に着目しているが、森美術館での会田誠展に抗議した市民への冷ややかな反応に比べて、ろくでなし子にはすぐ逮捕に抗議する文化人やリベラルな学生さんたちからの署名が大量に集まったのも、なんだこの差は、な現象だった。
表現の場では、性的な部分を露出する女性は勇気ある進歩派と称賛されるが、大々的に開催された美術展を観た市民がその展示に対する反応として抗議をすると、バカ扱いされナチ扱いされぼこぼこに叩かれる。この不均衡は、なんなのだろう。
言うだけむなしい、世間てそういうものよね、という気分が既に前提としてあるものの、なんでそうなるの? という気持ちを忘れてはならない、と思う。それは、私自身はどちらかというとこれまで性的な表現をおもしろがってきた観客の一人だからでもあるのだが。若かった頃は、今よりは視野が狭く、自分のことしか考えてなかったなあという反省もあって、森美術館に抗議した人たちの書いた本を読んでいる。
ろくでなし子のマンガと合わせて、ぜひ『森美術館問題と性暴力表現』不磨書房も読んでみてください。

森美術館問題と性暴力表現

森美術館問題と性暴力表現