おこられそうなことをあえていう

ろくでなし子の表現とそれにつながる志向性があるとされる欧米白人女性のアートをネット上で見たのだが、なぜかそれらすべてが企画ものAVからエロフェロモンを揮発させた物件にしか見えなかった。彼女たちの意図はわかるのだが、アイデア自体は目新しくもなんともないし、アートと企画ものAVを分かつものは何なのかがかえって曖昧になってくる気がしました。私の感性がオヤジ向けエロメディアと完全に親和しているせいなのかな。でもそうだとしても、それが自分なんだとしか思わないね。
女性器に関しては、おまんこは汚い、けがらわしい、いやらしい、というのこそ女性的な感性から出てくるのではないかとも疑います。男性にとっては、うかつになれなれしくすると祟られるかもしれない禍々しさを帯びたものなんじゃないのかなあ? まあ自分男じゃないから永遠にわかりようがないですけどね。
あと、性表現にまつわる周辺からの意見は、なんの変化もないのね。アラフィフともなると、30年前、おませな人なら70年代にどんなことがマスメディア上で語られていたか覚えているでしょう。一般の消費者の言っていることも同じ、たぶんいつの時代も同じようなことが言われるだけなんだろうなって。エロの領域は時間が流れない幽界に似ているのかもしれません。