風刺

四国新聞より。

 【ワシントン、ロンドン共同】パリで7日起きたフランス週刊紙本社銃撃について、各国首脳は「卑劣で邪悪な攻撃だ」(オバマ米大統領)などと一斉に事件を非難した。凶弾に倒れた人の多くが編集者や風刺画家だっただけに、首脳らは言論の自由など「共通の価値観」を守る立場を強調。フランスへの強い連帯と、暴力による言論弾圧を許さない決意を鮮明にした。

 オバマ氏は事件を「言論の自由への攻撃」と位置付けた上で、フランスと米国が共有する「普遍的な価値観」は「わずかな無分別な暴力によって、沈黙させられるものではない」と強調した。

仏週刊紙銃撃、各国首脳が非難/言論封殺許さぬ決意 | 全国ニュース | 四国新聞社

お昼のテレビのニュースで安倍総理も同様のことを語っていました。先進国(昔風にいえば西側先進国)の首脳は皆似たようなことを言ったわけですね。言論の自由表現の自由は守られなければならない。私も日本で暮らしておりますので、そう言われると正論ですなあとしか思いません。
でも、こうも、上から下まで人並みの常識を兼ね備えているならば言論の自由表現の自由は大事、なければならないですねえ、と答える人達の住む国での風刺ってなんなのかなあ、とも思ってしまってね。大統領も首相も、ああ風刺ですよね自由な表現ですよねはいはいはい、となってしまう国で。
風刺の刺がささって痛がるのは、一人前の市民になれてない証にされかねない国では、少なくとも権力者には風刺は効果がない、むしろそれで気晴らしができる人がいるのならどんどんやってくれ、みたいなものなんでしょうね。
まだうかつに風刺もできない国もある、と言われると、そういうところにくらべるとめぐまれてますよねぇわたしたちはぁ、になりますけれども、同時に、風刺が自由にできることにどれだけ価値があるのかと問いたくもなります。
じつはその「自由」のおかげで守られている人というのは、限られているのではないか。だったら、それを認めれば、そこからその先へと進めるかもしれないのに、それだけはいってはいけないみたいだしね。