『世界』no.879(2016.03)にジョルジュ・アガンベン「法治国家から安全国家へ」

世界 2016年 03 月号 [雑誌]

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ジョルジョ・アガンベン(訳:西谷修)「法治国家から安全国家へ」
緊急事態は民主主義を守る盾などではなく、それどころか、つねに独裁者たちを伴っている。

ル・モンド2015年12月23日号に寄稿した小論の翻訳だそうです。昨年11月13日のパリ襲撃事件と、その直後に発令された緊急事態が2月末まで延長されることになったことを受けて、これはフランスの国家としての様態が変容し始めるきっかけになるのではないかとの危惧を述べている。『世界』先月号に掲載されていた谷口長世「見えない世界戦争に巻き込まれた欧州」の内容ともつながるもの。くわしくは『世界』をお読みください。
以下は、上の記事を読んで思い浮かんだこと、私的な読書メモです。
アガンベンは、テロ防止を口実に国家が市民のコントロールを強めるだろう、たとえば通信データやパソコンの中身を接収しようとするのではないかと言っている。
でも、そういう国家から市民に対してだけなのか。
今はスマートフォンを持っている人がそこら中にいて、いつでもどこでも写真や動画を撮っている。そして、それをネット上にアップしていますよね。
だから、市民が市民を監視する、というのがありそうなんですよ。
この一般の人がスマートフォンで動画を撮れるというのは、弱者にとっては身を守る武器にもなり得ます。
アメリカで、白人男性から人種差別的罵声を浴びせられた女性が、その男性がその女性を罵倒する姿を撮影しネット上で公開、ツイッターで拡散された結果、その白人男性の氏名や住所もばれ、マスコミにも取り上げられ、レイシストをこらしめた勇敢な女性! と話題になった事がありました。
でも、私はそのニュースを見て、ちょっとぞっとしたんですよ。
その白人男性は、この相手なら罵倒してもいいと思ってやって、想定外の反作用をくらってへこまされたようで、それはべつに同情するようなことではない。
だけど、「この相手なら……」と思ったのは、その女性も同じなんじゃないかなって。
自分を人種差別的に扱った相手全てに対して、彼女は同様のことをするだろうか? やっぱり、相手を見て、対応を変えるんじゃないでしょうか。
ネット上、特にツイッターは拡散力がありますが、そのツイッター上に「こんな人いるよ!」とポンと持ち出されて、そこから「ひどい」とかなんとか、どんどん非難が広がっていく。
場合によっては、弱者がそうすることによって不正を告発し、横暴な敵に一矢報いることができるでしょう。
でも、変な風にも使えそうじゃないですか。
ツイッターとかSNSと親和性が高い人と、そうでない人がいるわけですし、誰でも利用できますといっても人によって向き不向きがあって、その場に馴染めない人にとっては修羅場でもある、利用したばっかりに余計な疎外感を背負わされる場になり得る、そういう面もありますよね。
一般人が無頓着に利用した結果、一部の人が傷つく、というだけでなく、ツイッターの特性をよくわかった上で、うまく利用して世論を作ろうとする人たちだっていてもおかしくないし。
一般の人ってそんな公平でもなければ理性的でもないよ。国家権力も怖いけど、ふつうの人もこわいですよね。
自戒も込めて、読書メモ。