“少年”はもう犯罪の中にしか出てこない

以下はニュースを見てのとりとめのない感想です。
ISISから通り魔みたいな犯罪に至るまで、これはイスラム文化圏の若者がアメリカナイズされた結果だろうし、だから一部イスラム守旧派アメリカの悪影響を難じて伝統回帰を唱えるのも理のないことではない。しかし、底流と化した世の風潮を押しとどめることは不可能なのも歴史を振り返ればわかる。
アメリカ文化の強い影響下に置かれた日本で、戦後という時代は、少なくとも80年代までは“少年”が反省しらずの我が物顔で気に入らないものを“粛清”していくのが“進歩”といわれた時代だった。“少年”でなければ“人”にあらず、とりあえずマスコミ上にはそういう傾向をたわめる気がまったくなかったし今でもその残照はある。
鳥越某はその時代の生き残りとして、逃亡隠棲先の南米から連れ戻されたナチ戦犯のようにこれから裁かれるのかもしれない。

付記

“少年”が内包する犯罪性はすべからく否定されるべきものではない、ということが忘れられた結果が現在かもしれませんね。そうなったのは“少年”のままこれでいいんだとおばさん化してしかもそうなっている自覚が持てない“少年”の成れの果てが陽の当たる場所でふんぞりかえり続けたせいかも。
だから、このあたりで、それにとどめをささないと。そういう気運が日本でも高まってるんじゃないかな。