まず、保坂展人世田谷区長の手記と、「コロナ戦記」での墨田区への取材で、もう都に頼れないと区独自でコロナ対策に動き成果を上げた例が読めます。
そして、特集「デジタル監視体制」。デジタル庁とかマイナンバーとか、最近気になってる人必読です。『世界』ではこれまでも度々監視社会化への警鐘が鳴らされています、たとえば2019年6月号の特集は「日本型監視社会」。その中の「 “ C ” の誘惑」という記事を読んで、星新一『声の網』を連想しました。
現在はコロナ禍のせいであのころとは世の中が変わってしまっている、一般人の間に広く安全を求める気配が広がっている。そして、仕事でも日常生活でもオンラインに頼ることが増えました。だから監視社会化に対しての感覚が以前より変わってきているかもしれないんですね。欧米にくらべて日本のデジタル化は遅れている! という出羽守もいっぱいいますし。
わたし個人としては、いま別に不便もなく暮らしているのでこのままのほうがめんどくさくなくていいくらいの気持ちなのですが、わたしみたいなのは基準にならないのは分かっています、忙しくバリバリやってらっしゃる方たちの意見はどんなものなのか。みなさん読んでみてください。
安全性への希求から監視下が強まったのは、9.11以降もそうでしたね。上の特集でも例として出てきていました。監視カメラだらけに既になってますけれども、もうあんまり気にしてないですよね、一部の敏感な人たちを除いては。マイナンバーなどのデジタル化もそのようになし崩し的に進行していくのかもしれません。
SFには管理社会化したディストピアものが多いですが、スピルバーグの映画「マイノリティリポート」、今見るとまたぐっとくるかもしれない。フィリップ・K・ディックの小説を基にした近未来のディストピアを舞台にしたおはなし、基本の筋はミステリになってたし、映画としての見どころはスピルバーグによるサイレント時代のスプラスティックを見事に昇華したアクション場面になるんだけれども、物語の舞台設定となる世界は、予知能力をもつ超能力者を使って事前に犯罪事件が起こるのを防いでいる超管理社会、しかし犯罪率はほとんどゼロでとっても安全なんですよね。
『世界』読んでも思い出すのは星新一やスピルバーグになるんですけども、20世紀から管理社会化、全体主義化への恐れは漠然と大衆に共有されていて、そしてそれはほんとうに大勢が忌避するようなものなのかというのがある、たぶん前世紀ほど素直に忌避感が湧きおこらなくなってきている、そういう変化に対しての不安。
新刊案内の岩波ジュニアスタートブックスのところで、ペンギンさんがいい味だしていました。ニューキャラなのでしょうか。応援していきたいです。