『世界』2023年5月号 小松原織香「災厄の記憶を継承する 第2回 水俣・アートで伝える」

 

 水俣では、アートを用いたり、子どもたち向けの紙芝居で水俣病を伝える試みが始まっている。著者は研究者として調査の過程で事実と向き合う苦しみをくぐり抜けて来ているため、「楽しさ」「わかりやすさ」を前面に押し出す手法に危うさを覚えながらも、その取り組みを肯定的に捉える。著者にそれが前向きな行いに見えてきたのはどうしてなのか。くわしくは『世界』5月号で読んでみてください。

 
 以下は私の感想、この連載では記憶を伝える際の困難をめぐる研究者の煩悶が主題になっているように見えるので、そこから思い出したことを。
 
 ノンフクション作家・井田真木子は、自分にとってノンフィクションを書くということはどういうことなのかについても書いていた。井田真木子ルポルタージュは作家の作品として読まれるべきもので、研究者による調査とは異なるジャンルになるが、井田の文章からはノンフィクションの野蛮さと不自由さみたいなのもがあるなと感じさせられた。
 村上春樹1Q84』では、『空気さなぎ』を天吾に書かせたふかえりが、天吾に読んでもらったチェーホフの『サハリン島』に出てきた字を持たないギリヤーク人に自分をなぞらえて、自分はひろいドウロをあるくことはない、キロクも残さない、あなたがジにかえたらそれはもうわたしのはなしではない、と言い、そして、それはあなたのせいではない、ひろいドウロからはなれてあるいているだけだから、と言う。この世には、語れない者、語ろうとしない者、語られることに背を向ける者もいることを、物語中にふかえりを登場させることで表していた。