宮台真司「法案が通る通らないは問題ではない。利権を持った人間が、どういう意図に基づいて何をしたがるのか、それが重要」(『SIGHT』vol.12 2002年夏号)

有事法制個人情報保護法案が話題になった2002年夏。
『SIGHT』vol.12の特集「反・有事/メディア法」に宮台真司のインタビューが出ている。そこで宮台は、法案を吟味するには全体の構図を見ておく必要があり、全体の構図を知るには最近の権益の配置を理解しておくことも大事だとして次のような説明をしている。
戦後の高度成長期には経済官僚(大蔵、通産など)がトップに立っていたが、1990年代に官僚ヒエラルキーの転換があり、経済官僚の地位が沈下した。それに変わってトップに立ったのは情報管理行政に関わる官僚(総務、警察など)。

「たとえば東大の法学部を出て、国家公務員一種の採用試験に受かった連中がどこに行くのかというと、昔はトップから順番に大蔵、通産と行ったわけだけども、今はトップから総務省警察庁というふうに行くわけですよ」
(宮台真司、『SIGHT』vol.12)

情報管理行政とはデータベースを管理する行政で、戦前で言えば内務官僚。公安についてのニーズが高まると情報管理行政が注目されるようになる。情報管理行政に関わる連中の権益が最も高まるのは、国民が戦争に巻き込まれる恐れにおののいているような状態になった時である。
聞き手の渋谷陽一は1990年代の官僚ヒエラルキーの転換について「全然知らなかった」と言っていたが、もちろん私も全然知らなかった。宮台はスペシャリストと一般読者をつなぐミドルマンの役割をメディアに期待したいとも語っている。
官僚ヒエラルキーが全面的に変わったという1990年代だが、同時期に右傾化も進行したのではないだろうか。
1993年8月、細川首相はアジア太平洋戦争が侵略戦争であったことを認める発言を行ったが、それに対して自民党は歴史・検討委員会を発足。1995年8月、歴史・検討委員会は『大東亜戦争の総括』(展転社)を出版、現行の教科書のゆがみを正すべく「新たな教科書の戦い」を開始すると宣言。1996年12月、「新しい教科書をつくる会」創設声明が出される。(参考:「教科書に真実と自由を」連絡会『徹底批判「国民の歴史」』大月書店)
1995年といえば、阪神淡路大震災とオウムのサリンテロがまず思い浮かぶけれど、この『大東亜戦争の総括』(展転社)が出たというのも大きな事件のひとつなのかもしれない。