世間を覆う静けさ

香山リカ『<私>の愛国心ちくま新書(ISBN:4480061851)より、一部引用。

精神科医の高木俊介が『精神医療』誌(第4次32号、2003年)に寄せた論文の冒頭には、こうある。「2003年7月、「心神喪失等の状態で重大な犯罪を行った者に対する医療と観察に関する法律(心神喪失医療観察法)」が成立した」。
(中略)
「同じ国会で、有事関連法、個人情報保護法が成立。日本という国が、戦後堅持してきた平和主義から明確に進路を変えるために舵を切った時として、忌まわしき年の名を歴史に刻まれることになろう。」
(中略)
医療観察法は、医療に名を借りた保安処分である。70年代から80年代はじめにかけて、保安処分は多くの反対にあって挫折してきた。それが今回は、日本精神科病院協会が表立って賛成し、多くの医療関係者と司法関係者が沈黙する中で成立した。」

2001年、医療観察法案が制定に向けて動き出した時、危機感を持った医療関係者や障害者とその家族たちが、調査データをそろえて法案に反対する声明を出したが、いろいろな団体からあがった反対の声はメディアで大きく伝えられることもなく、社会に注目されることなく終わったという。1980年代であればマスコミが大きく反対の声を取り上げていたのにすっかり状況が変わってしまったということだ。

精神医療の世界においても、確実にひとつの曲がり角を私たちは曲がったのだ。それにもかかわらず、それはあまりにもあっさりと行なわれた。「もう曲がるしかないじゃないか、みんなで曲がろう!」といった決意表明をする人も、大きな声で「さあ、曲がれ!」と言った人もいなかった。
だから、いまだに「曲がった」ということにさえ気づかない人がいる。高木もこう述べる。「この大きな進路変更にもかかわらず、いまの不気味なほどの静穏さは何であろうか」。
自衛隊派遣やそれに関係したイラク特措法(イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法)の成立にしても、精神医療の世界での変化や医療観察法の成立にしても、すべてはその重大さからは考えられないほどの静けさのなかで事は運ばれた。医療観察法に関する審議に際して、国会に呼ばれて反対意見を語った精神医学者のひとりが、雑談のなかで私にこう話してくれたことがある。
「国会議員たちはとてもものわかりがいいんだよ。僕たちが、精神科医には再犯のおそれを科学的に予測する能力はない、だからこの法案が成立したら、実質的には予防拘禁が行なわれたり、いったん対象になった人が永久的に拘禁されたり、という恐ろしい事態になりかねない、と説明したときにも、みんなまじめな顔でうなずきながら聞いてくれた。だれも、質問もしなければもちろん異議も唱えない。だから、自分の説明が彼らを動かしたんじゃないか、とさえ思ったんだ。でも、採決が行なわれたら、ほとんど全員が賛成して法案は可決された。いったいあれはどういうことだったのか、今でもわからないんだ。」

こういうのを読むと、共謀罪の審議はどんなかんじなんだろうと想像して怖くなってきます。