ミスト

DVDで鑑賞。

霧に包まれた田舎町で人間が謎の生物に襲われる。
嵐の後、湖の向こう岸から霧が流れ込み始めていた。デイヴィッドは妻を家に残し、息子と隣家の住人と共に車でスーパーまで買い物に行く。その間にも霧は町全体に広がり続けていた。買い物をしていると血を流した男がスーパーに駆け込んできて扉を閉じろという。霧の中に何かがいて、それが人間を襲っているのだと。そのときスーパーマーケットは既に霧にすっぽりと覆われていた。中に閉じ込められた人たちは状況が見えないまま恐怖と戦うことになる。
スティーヴン・キングの原作「霧」は、以前文庫本で読んだ。短編集の中に入っていた中篇だった。私のキングの記憶は「IT」あたりで途切れているのだが、それまでの作品と同様、昔のホラーやSFの記憶を呼び起こさせる場面が展開し、登場人物は恐怖と戦いながらも生きる意志を捨てない。そこらへんのふつうの人たちの強さと弱さが具体的に描かれ、諦念を踏まえながらも人間に絶望してしまうことなく、現世への希望を捨てない話になっていた。
この映画は原作を忠実に描いているが、原作は、同志と共に車でスーパーを脱出した主人公が、霧の中から伸びた巨大生物の足が車をまたぐように通り過ぎていくのを目撃するところで終わっていた。今、手元に原作がないので記憶だけで書いているが、子どものころテレビで観た巨大生物が出てくるSF映画の場面を思い出させる、怖いけどなつかしい光景が出てきてちょっとうれしくなったものだ。しかし、映画版では、さらにその先に話は踏み込んでいき、最後にはミスティックな霧も晴れて終了となる。
出演者の中では、狂信的なキリスト教徒を演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンがすばらしい。顔立ちに特徴があって、前にもこの顔観たことがあるのだが、今回はその風貌もいかしてスーパー内の恐怖を倍増させる役者ぶり。この人を舞台で観たい、と思った。
アメリカ映画だが、60年代末から70年代中ごろまでは、暗い映画が多かった。子どものころテレビで観た映画がそのころのものが主だったせいか、アメリカに対してはあまり明るいイメージがなかったりする。今思うのは、アメリカ映画はヨーロッパ映画にくらべると、絶望を描くという点でおそろしく不器用だということだ。そのせいか、暗くなりだすととことん暗くてうっとおしい世界にいってしまうわけだが、最近のアメリカ映画も話題になる作品がまた暗くなりかかっているような気がする。そのうちまたイラク帰還兵が不眠症のタクシーの運転手になったりする映画が出来るのだろうか。