ミュンヘン

DVDで鑑賞。
1972年のミュンヘンオリンピックで起きた黒い九月によるテロ事件の報復に動くイスラエルの暗殺チームを描く。
1972年、ミュンヘンのオリンピック村でイスラエル選手団をパレスチナ過激派・黒い九月が襲う。西ドイツ警察とテロリストは空港で銃撃戦となり、人質となったイスラエル選手もすべて殺害されてしまった。
この事件に対してイスラエル政府は報復することを決意。しかし表立って動くわけにはいかず、テロ首謀者をはじめ黒い九月に関係したと見られる11人をリストアップし、暗殺チームによって殺害することになった。アヴナー(エリック・バナ)が実行部隊のリーダーに指名され4人の仲間たちと欧州を巡りながら標的を暗殺していく。
フランス人のルイという男がアヴナーに標的に関する情報をくれる。しかし、ルイは金で動く情報屋だ。アヴナーに指令を出すモサドも、いざとなれば実行部隊だけを斬り捨てるだろう。そして、暗殺活動を続けるアヴナーたちにも敵からの報復が及ぶようになった。アヴナーは疑心暗鬼と罪悪感に押しつぶされそうになっていく。
主役にモサドを据えたスパイアクションである。やっていることが暗殺なので、必殺仕掛け人的暗さが全編に漂い、ゲームの楽しさのような色は出ない。原作が実録もの(当然モサドは内容を否定している)だし、仕方ないだろう。コメディセンスに難があるスピルバーグには重く暗いスパイのおはなしはふさわしいともいえる。
冒頭の黒い九月の犯行の描写から、スピルバーグの天才ぶりが堪能できる。事件当時、テレビニュースの実況を観る人々を映すことによって、テレビの画面と、イスラエル、アラブ双方の反応のちがいを見せる。イスラエルパレスチナという題材を選んだことにまつわるむずかしさ、主人公がイスラエルだからといって彼らの方だけを中心に描くと作品として薄っぺらいものになる。劇が展開していく中でもしばしばアラブ側の言い分も出し、政治や組織の争いに巻き込まれて神経を磨耗させていくアヴナーを主役とし、家庭を持つ一人の男の物語として観られるようにもっていく。
スピルバーグは大人を描くときに冷淡になりがちで、まるで異星人が人間の動きを観察しているような印象を与えるのだが、この映画に関してはそれがプラスに作用している。イスラエルとアラブどちらに対しても冷めた目を向けているように見えるから。
私はあれも稀有な才能のひとつだと思うのだが、スピルバーグのああいうところがいまひとつ好きになれない、観ていて登場人物に感情移入しづらい、人間が描けていない、と言う人がいるのもわかる。
もっとも、この映画のテーマがイスラエルパレスチナなのか、といえば、そうではないだろう。政治と個人かといえばそうでもない。スピルバーグが見せてくれたのは、過去にスパイ・アクションものとして作られた映画の粋を磨き上げて集大成したような映像だ。スピルバーグの映画はいつも作品のテーマが映画そのものになってしまう。
ヒッチコック作品は映画の名人が観客を楽しませてくれる気分を味わえるが、スピルバーグの映画を観ていると、スピルバーグが名人だというより、映画がスピルバーグに取り憑いてしまったのではないかと疑いたくなる。スピルバーグを媒介にして過去に撮られた映画群がこの世に化けて出てくるようなかんじ。こんな人は他にいない。
私にとってはスピルバーグキューブリックよりはるかにデモーニッシュな存在なのです。