「やねごんの にっき」の一部を、漢字入り文章に直してみた。

引用して、かながきと、漢字入りに直した部分は、整形済みテキストとしてpreタグでくくってある。(背景が薄い青色になっている)

(引用元:やねごんの にっき 2009年11月27日(金))

 うえに あげた 5つの きじは、		# 上に挙げた5つの記事は、
どれも ながい ぶんしょうなので、	# どれも長い文章なので、
ここで かんたんに 			# ここで簡単に
わたしが かんじを 			# 私が漢字を
なるべく つかわないで 			# なるべく使わないで
ブログを かいて いる 			# ブログを書いている
りゆうを のべて おきます。		# 理由を述べておきます。

 それは できるだけ おおくの ひとが 	# それはできるだけ多くの人が
ぶんしょうを よんだり かいたり 		# 文章を読んだり書いたり
できた ほうが のぞましいと 		# 出来た方が望ましいと
かんがえるからです。			# 考えるからです。
わたしはいっぽうでは 			# 私は一方では
よみかきが できなくても 		# 読み書きが出来なくても
なんの ふつごうも なく 			# 何の不都合もなく
せいかつできる しゃかいが 		# 生活できる社会が
りそうてきだと おもっています。		# 理想的だと思っています。
しかし、にほんごの よみかきが 		# しかし、日本語の読み書きが
できないと さまざまな めんで 		# 出来ないと様々な面で
ふりえきを こうむって しまう という 	# 不利益を被ってしまうという
にほんしゃかいのげんじょうでは、	# 日本社会の現状では
そうした ひとたちが 			# そうした人たちが
よみかきを みに つけやすい 		# 読み書きを身につけやすい
かんきょうを つくって いくという ことも # 環境を作っていくということも
どうじに おこなって いくひつようが 	# 同時に行っていく必要が
おおきいでしょう。			# 大きいでしょう。

ひらがなで言葉を分かち書きにする場合、表示する一行を短くして、段落分けは空白行を入れるなど、表示形態を工夫すれば、かなり読みやすくなるのではないか、と思った。
上のように漢字入りを同行に並べると、目で読む人にはわかりやすいかもしれないけれども、音声読み上げブラウザで閲覧している人にはかえってわかりにくくなるのかもしれない。'#'以降を読み飛ばせば問題ないだろうけれども、私は音声読み上げで閲覧したことがないので分からない。