マリア・シュナイダー死去

[映画.com ニュース]1972年のベルナルド・ベルトルッチ監督作「ラストタンゴ・イン・パリ」で知られる仏女優マリア・シュナイダーさんが2月3日、仏パリで死去した。58歳だった。代理人の談話によれば、長く闘病生活をおくっていたという。

「ラストタンゴ・イン・パリ」仏女優マリア・シュナイダーさん58歳で死去 : 映画ニュース - 映画.com

代表作は「ラストタンゴ・イン・パリ」になるということか。この「ラストタンゴ・イン・パリ」のパリでのプレミア上映を観たときのことを岸恵子がエッセイで書いていた。セックスシーンでマーロン・ブランドの姿を後ろから撮った場面で、岸恵子の隣に座っていたフランス人女優が「まぁ、マーロンちゃん、どうしちゃったの」とつぶやいたのがおかしかったと書いていたと記憶する。そして、岸恵子のすぐ近くに座っていたマリア・シュナイダーも話題になる過激なセックスシーンが始まると、観ながらくすくすおかしそうに笑っていたそうだ。上映終了後、舞台の上に監督や出演者が並んだが、マリア・シュナイダーは当時の若者最先端のファッションだった長髪にジーンズという格好で、似たような風体の若者に囲まれ、難癖をつけそうな保守的な大人たちがなんと言おうと彼ら若い世代は彼らの流儀でやっていくんだろうなと予感させたと岸恵子は記していた。
私が覚えているのは、ジャック・ニコルソンと共演した「さすらいの二人」でのマリア・シュナイダーで、その笑顔を観て風吹ジュンによく似ているなあという感想を持ったことだ。輪郭と髪型と雰囲気が似通って見えたのだろう。
そして、なぜか雑誌『ロードショー』で、マリア・シュナイダーが映画の撮影に備えてフラメンコのレッスンをしているところを取材してカラーページで特集していたことも鮮明に記憶している。どうしてかといえば、マリア・シュナイダーはそれほど日本で人気が高いわけでもないのに大きく派手に取り上げていたせいだ。あれは編集者にマリア・シュナイダーの熱心なファンがいたからなのだろうか。
そこでレポートされたマリア・シュナイダーからは、アイドルやスターのきらびやかさではなく、やさぐれたムードが伝わってきた。フラメンコの練習の途中でマリファナを吸ったりして、踊りの先生にはいやがられている。こんなことやりたくてやってるんじゃないのよという気分を隠そうともしていない。「芸術家になりたいけれども、歌も絵も何もできないから、女優をやってみただけよ」とか言っていたな。同じようなことを伊佐山ひろ子が言ったことがあるそうだが、伊佐山ひろ子はノンシャランとしたかんじしかしないのに対し、マリア・シュナイダーのほうは投げやりで、女優業がほんとうに嫌になりかかっているのかなと思わせられた。その取材記事でのマリア・シュナイダーからは、ぐれかかっているような印象を受けた。
その後は、芸能ニュースで、映画の撮影現場で突然怒り出し、こんな映画はわいせつなだけだとか監督にむかってどなり、自分から出演を降りてしまったというのが出て、不機嫌でいらいらしているマリア・シュナイダーを想像して、あの『ロードショー』の記事を思い出して、暗いイメージを持ってしまったりした。
「夜よ、さようなら」という作品では脇役で出ていたのだがよかった。適役だったということもある。映画自体があまりおもしろくなかったのだが、マリア・シュナイダーは、明るいとはいいがたいあの独特な雰囲気を活かしてずっとやっていけるのではないかと思った。
しかし、そうはいかなかったようだ。
ラストタンゴ・イン・パリ」は、公開当時、過激なセックス描写が話題になり、尻出して怪演したマーロン・ブランドよりも、若い女優・マリア・シュナイダーのほうが好奇の目で見られたり役柄そのままを自身に刻印されそうになったりする負荷が多大だっただろうと容易に想像できる。そういう状況を逆手にとって芸能人として利用してしまう女優ならまたちがっただろうが、『ロードショー』のインタビューに答えていたのは、感受性が鋭く、繊細で、愛想笑いや作り笑いが苦手そうな若い女性だった。
四国新聞に載った訃報を読んで、こんなにマリア・シュナイダーについてつらつらと記憶が甦る自分に少しおどろいた。とくに思い入れもなく、日本で公開された出演作も少なく、その少ない中の一部しか自分では観ておらず、マリア・シュナイダーが出ているから観たいなどと思ったことは一度もないにも関わらず、岸恵子のエッセイや『ロードショー』の大昔の記事や芸能ニュースの断片までがするするとつながって思い出されてくる。
ご冥福をお祈りいたします。