「オレはアリストクラットだから!」とはいえないのか?

http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160507000063
発端となった事件はアート()以前の齟齬から起こったようにも見えるし、なぜかそこからアート全般の表現の萎縮への危惧に雑駁に話がつなげられてて、論争の大枠を見せるのには適当かもしれないけれども、読んでて「?」な後味が残った。
表現の自由とは。いや、そもそも自由とは何か」という決まり文句に無理やりねじこんで定型した、みたいな印象。
映画や小説などサブカルチャーなら、人気がある、はひとつの価値になるけれども、アートというか芸術はそういうものとは異質な物件なのでは? 評価できるのは「アリストクラット」だけで、そこでいわゆる民主主義とはもともと相性よくない磁場なんじゃないの? そういうものも飼えているというのは民主主義社会の豊かさの証にはなるだろうけれども、民主主義を支えるためにアートが存在しているとは私は思っていないので。
私はアリストクラットではないので、アリストクラットに踏みにじられそうになっている弱い立場の人がいればそちらに同情してしまいますが、アリストクラットだっているよね、それが現実だし、いちばんみんなが困るのは、現に存在しているアリストクラットがアリストクラットであることをごまかすことなんじゃないかな。