退屈で倒錯した話 - 「森美術館・会田誠展への抗議」問題についての雑感 - Ohnoblog 2
この件についてはてなブックマークやツイッターでお作法通りにアート側を擁護するコメントがずらりと並び、抗議の声を上げた人たちがほとんどまともに相手にされていないネット情景を目の当たりにしてちょっとしたショックを受けていたのだけれども、上の記事ではその辺のアートをめぐる環境について書かれている。
それで、ここからは、アートとは話がずれてくるのだけれども、今回の件で私が感じた倒錯した感じというのもあるな、と、上の記事題名に使われた「倒錯」という単語を見てああそうだなと思い当たって。
抗議の声を上げた女性が、美術館へ展示撤去の要望を出しているので、表現の自由の弾圧だという見方がなされ、似た例として右派からの抗議で従軍慰安婦に関する展示会が中止に追い込まれた件を挙げる人がいたけれども、なるほど、なにがしかの理由で展示を止めろと抗議してくるという点は同じかもしれないのだけど、私には、今回の件は、従軍慰安婦の件が反転した形にも見えるのですね。男の世界の常識ではこうなっとんじゃい、と、ドヤ顔で胸張ってるのがアート側で、白眼視にもめげずに異議申し立ての声を振り絞っているのがポルノ被害と性暴力を考える会に見えてしまう。なんでこうなるんだろう、そういう、倒錯感を覚えさせられる光景。
そして、このところ似たような倒錯場面に遭遇することが続いているな、と思い出して、たとえば橋下徹と週刊朝日の件とか、橋下徹と桜宮高校の件も部分的にそんな感じがしたし、もっと広げてしまえば、安倍政権が景気浮揚のために公共事業をやろうとしているのを、リベラルや左派と見做されている勢力が無駄使いだバラマキだと攻撃するとか、あれやこれや、ほんとに、もう、なんでこうなるの?
まとまらなくなってきたけれども、今回の件については、昨日の日記でも紹介したけれども、抗議の声を上げた女性が美術展を鑑賞した上で自分は何故そうしようと考えたかを書いてくれているので、できるだけ多くの人にそれを読んでもらいたいと思って。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/887b2afb8e8a73ccf89166246e23d1eb
美術館側としては、展示会について説明した上でゾーニングするというくらいしか対処の仕様がない事案かもしれない。
しかし、というか、それならなおのこと、あの展示を観てこのような感想を持つ人がいて、抗議までしようと思い立ったのはどのような事情があってのことなのか、こういう意見が出たとしてこれをもアートの問題として取り上げて論じる場は果たしてあるのか、仮にないとしたらどうしてないのか、そういうことがもっと話題にされていいんじゃないか。
どうも、ポルノ規制とか展示撤去とか、そういう局所に目が留まって、抗議している側が語ろうとしていることがちゃんと読まれないまま流れていこうとしているのが気になる。
語りがつたないとか、ロジックがだめとか、そんなんだったら会田誠の女や世界のとらえかただって十分つたないんじゃないかしら。それでも、彼がそれなりに表現することに意味があるのなら、彼女たちの異議申し立てにも十分意味はある筈です。