平成の最後の最後に、巨星墜つ。
ケーシー高峰(85)、4月8日に死去。いましみじみと、じわじわと、喪失感が広がっている。
年齢的には大往生であろう。そして、ぎりぎりまで現役で活躍しているのを見た。しかし亡くなられてから、彼の芸風はもうこれからの世の中には合わないものになっていったのだろうなというのもあり、それだけにひとつの時代の終わりをかみしめる思いでいる。
ロックバンドとちがって、ケーシー高峰のような芸人については、ファンだったとしてもわかったような口ぶりで私的感想を書くのをためらわれるので(私は女でしかないから。これからの女性はちがうかもしれないが、私はできない)、ウェブ上で見つけた記事の中から、毒蝮三太夫の言葉を引用しておきたい。
そうそう、立川談志もケーシーさんと仲がよかった、尊敬してたよ。「俺の前に(ケーシーさんを)出すな。俺がウケなくなるから」ってさ。笑いの質が違うんだよ。ドーッと笑うだろ、それで客が疲れちゃって、談志が出て行っても笑わない。“バカウケ”なケーシーさんは“芸人殺し”だったな。俳優としても、シリアスな演技がうまかったし、談志が「すげー」って言っていたのも分かるよ。
P-ファンク大好きな私ですが、私の中では、ケーシー高峰 > P-ファンク だったですよ。月亭可朝や笑福亭鶴光もそうですが、その中でも、ケーシー高峰はいちばん大きかったね、ジョージ・クリントンより私はケーシー高峰のほうがいい、格が上ね、私の中では。
「日本人でよかった」「日本に生まれてよかった」というのは、私にとっては、子供の頃テレビでソウルトレイン見るより大正テレビ寄席が見られてほんとうによかった幸運だったって、そういうことですよ。グラッチェ、ケーシー、安らかに。