小林信彦『物情騒然。』文春文庫

 

 週刊文春に連載していたエッセイ「人生は五十一から」の2001年度ぶんをまとめたもの。夏には映画「パールハーバー」が公開され、9.11が起き、10月には古今亭志ん朝が死去。基調は身辺雑記で、時事感想、映画、小説、テレビやラジオなど、話題は多岐にわたる。「千と千尋の神隠し」についてもまるまる一回分割いて書いています。
 さて、ニュースを通してみた9.11と、その後のアメリカに対する思いが何回かつづられているのですが、その中から一部抜粋して紹介。

 テレビのニュースを見ると、必ず、アフガンの夜間爆撃のシーンがある。NHKのアナウンサーは<大本営発表>をくりかえす。
 そして、アメリカの記者が空爆の効果を問うシーンになり、ラムズフェルド国防長官はこう答えた。
 「日本空爆だって、パールハーバーから三年半かかったのだ」
 この言葉の明らかなミスはスーパーの翻訳のせいかも知れないが、アメリカ軍部の本音が出ているとも思える。<三年半(?)>の中には、東京大空襲ヒロシマナガサキの原爆投下が含まれているのだ。それらの非戦闘員殺戮を、こともなげに口にできるのは、反省がまったくないからだ。売り言葉に買い言葉とはいえ、国防長官のいうべき言葉ではないだろう。

  
 (中略)

  
 アメリカ軍側から見たこの夜の空襲は、E・バートレット・カーの「東京大空襲 B29から見た三月十日の真実」(光人社NF文庫)に詳細に描かれていて、焼き払うべき部分の地図も入っている。ぼくの家も、まさに、その区域に入っていた。
 グアム島に残ったカーティス・E・ルメイ司令官は作戦の成功を確信していた。
 <――もしこの空爆が敢行されれば、戦争はまもなく終結する。なにしろ天皇が予想もできないことをはじめたのだ。天皇がこのような空爆に応報できるとは思えないし、東京が焼滅し地図上から消失するのを止めることはもはやできない。>
 この夜の死亡者数は推定十万人以上。東京の全人口が五百六万人の時である。
 敗けたことがない(当時の)アメリカの軍人がキレると、こういうことを本気でやる。相手がオリエンタル・ピープルという事情もある。

  

 アフガン空爆はこの延長線上にあると見ている。
 ぼくがうつうつとした日を過ごすのは、そのせいであり、フランスやイギリスでおこりつつある<空爆停止>の動きから目が離せない。
(引用元:小林信彦『物情騒然。』文春文庫 p.268-p.270)


  いまニュースでガザの惨状を見せつけられるわたしたちの気持ちと重なり合うところがありますよね。
 アメリカが言い出した「テロとの戦い」「対テロ戦争」は、その後、アサドやプーチン習近平やらも使う口実になりました。そして、アメリカは帝国の墓場アフガニスタンに踏み込んだ結果、覇権を失いつつあります。

 9.11で幕を開けた21世紀、2001年のことなど記憶にない若い世代に読んでもらいたい小林信彦のエッセイ。