徳島 町立病院に「サイバー攻撃」

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本日の四国新聞にもっとくわしい記事が出ていましたが、「ランサムウエア」に攻撃され、身代金を要求されるおそれがある。仮に身代金を払ったとしても元に戻るかどうかは分からず、システムは再構築するしかないだろうと書かれていました。

追記:ハッカー集団「ロックビット」からの英語の脅迫文には「連絡しろ」とあったとのことで、まだ身代金を要求されるところまではいっていない。(四国新聞の記事より)

 カルテがなくなってしまったので(正確には閲覧できなくなった)、患者さんからこれまで出してもらっていた薬などを聞いて、あたらしくカルテを作っているそうです。

 しろうと考えですが、こういう業務用のパソコンと、インターネットに接続するパソコンと、分けるとかできないものでしょうか。分けると不便にはなりそうですけれども。

東雅夫編『百物語怪談会』ちくま文庫

 

 泉鏡花が主宰しての文人たちによる百物語。明治時代の「ほんとにあった怖い話」が楽しめます。

 字が大きめでむずかしい漢字には読みがながふられている、中高年にやさしい作りの本。

 印象に残ったのは、鏑木清方夫人の「お山へ行く」。子供時代に故郷の村で体験したふしぎな出来事の思い出話なんですが、怪異譚的に語られていますけど、だれでも小さい頃の思い出には、今となってみると別に怪異とまではいかなくても何か現実ばなれしかかった光景として記憶されていることってあるんじゃないですかね、そのころの知覚が大人になってからのものとちがっているせいでしょうけれども。そういう、自分にもあったあの感覚を思い出させてくれるところがありました。

 泉鏡花の「一寸怪(ちょいとあやし)」は、スティーヴン・キング『キャリー』などにも通じる思春期の女子と怪異の親和性の高さと、現代では考えられないようなことがふつうに行われていた当時の現実の怖さが味わえます。

 「ほん怖」苦手な人には向かない本でしょうが、当時の東京の雰囲気、暮らしぶりがうかがえるので、明治時代をかいま見ることができますよ。江戸時代の名残が濃く、「ほん怖」ありがちパターンは現代とも共通項が多いですが、狐狸に化かされるおはなしがよく出てくるのは今とちがいますね。

 

 

『世界』2021年6月号 no.945 阿部潔「ソーシャルメディア時代のメガ・イベント 反転と幻滅のゆくえ」

 

 

 現代社会に定着したメガイベントは、マスメディアの宣伝力によって一般大衆の関心を集め、観客としての一体感をもたらしてくれるものとして大衆も楽しみを共有してきた。
 SNSの普及により、大衆はより能動的にメガイベントに参加し、約束されている筈の未来の感動をネットで先物買いする株取引として享受するような楽しみ方も覚えた。
 東京2020オリンピック・パラリンピックは、そこへ真のイベントともいえるコロナ禍がふりかかり、オリパラは延期を余儀なくされ、開催方法も "みんなが参加" とは程遠い形となっていった。大衆は失望し、SNSでは怒りが共有されるようになってゆく。そして、森元首相の失言があかるみに出ると速攻でハッシュタグによるバッシング炎上が起きる。

 SNSでオリパラへの熱狂や幻滅を共有し発信する形で関わった人たちは、狂騒の共犯者でもあった。そのことを自覚しつつ、令和オリパラ炎上を振り返り、反省してみるときではないでしょうか。

 くわしくは『世界』6月号を読んでみてくださいね。

 

 『世界』6月号の時点では、あのオリパラ前夜のネット炎上は起きていないので、取り上げられているのは森元首相失言炎上だけですが、下のような本も出ています。

 

 

オリパラが終わった後は、大勢の人たちはもうあのネット炎上のことなどすっかり忘れているようです。それはある意味健康なことなのかもしれませんが、現に炎上被害者が出ているのですから、その被害者は救わないといけません。


ちょっとSF脳を駆動させますが、オリパラ前夜の殺気立った雰囲気の中、2chのコピペから生成されたブログ記事がそれまでそんなことに何の関心もなかった人たちにまでオリパラネタとして広く拡散されていった様は、あの時期のデルタ株の感染大拡大とパラレルだった印象があります。
 オリパラの熱狂は去り、ネオコロナの感染拡大も収まってきています。いったん落ち着いたこの時期に、被害者の手当てに関心を向けていただければと願います。

 

 

北海道を旅行中の人への注意

 

たしかにハイコンテクストすぎる……それに、わたしはヒグマうんちをいまだ見たことがないのだが、しろうとが見てもすぐわかるのだろうか………………

『世界』2021年11月号 関西生コン弾圧、他

 

花田達郎「関西生コン弾圧と産業労働運動、そしてジャーナリスト・ユニオン(中)」

 10月号(上)では、世界的には標準形態である産業労働組合が果たす役割がどんなものであるかをドイツを例に解説し、この形態の労働者運動が成り立ちにくい日本の会社文化と、その中で産業労働組合の原理に沿って運動を展開し成果を上げてきた関西生コンが異常な弾圧を受けていることを伝えていました。

 11月号(中)では、なぜこの時期に不当な弾圧が続き、有力な労働法学者らが声明を出してもマスコミがまともに取り上げることがない状況が続いているのかを分析しています。非正規労働者たちが労働組合を作って立ち上がるのを阻止したいからではないかと。

(東京から見ると、西日本、とくに昔都があった関西は社会の織り目が複雑巧緻なせいでいろいろ妄想をかきたてられるらしくて、実話誌などでおもしろおかしくデフォルメされたり、ネット上ではそういう噺をもとにネット伝説みたいなのがつくられて流布されたりしがちですが、ちゃんと取材して冷静に状況を腑分けして伝えている本も出ておりますので、まともに知りたい人はそういうのを読んでみてくださいね)

 

上村隆「金学順さんが伝えたかったこと 最初に報じた記者からの報告」

 1991年、朝日新聞で元慰安婦の聞き取り調査を始めたというスクープを書いた上村記者は、23年後その記事がもとで大バッシングを受けることになった。その経緯をつづっている。

 ネットでの大バッシングで家族にまで被害が及び、ネット上で誹謗中傷を受けたご息女はツイッターに名前や写真を載せた男性を提訴した。

 ネットが普及してからのバッシングの例として読めます。

 

神保太郎「メディア批評 第167回」

 以前からネットの普及とネット独特の危うさについても触れて来たメディア批評。今回は木村花自殺を受けて侮辱罪の厳罰化が言われ出した経緯を、拙速すぎると批判している。じっさい、ネットでの誹謗中傷がもとで云々が口実とされてネットの管理化が進んでいくように見える。

 

 ネットを見るとき、自分はどのような状態だろうか。新聞やテレビを見るとき、本を読むとき、他の人と話すとき、と、なにかちがった特有のモードに切り替わってはいないだろうか。その中で受け止めたことを自分の中で咀嚼してその後どう外に出しているだろうか。どのような影響をネットから受けているだろうか。

 

 ネットユーザーはいまそれを見直す時なのかもしれない。

 

くわしくは『世界』を読んでみてください。