『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』ノルベルト・フライ/ヨハネス・シュミッツ(著) 五十嵐智友(訳) 朝日選書560

ヒトラー独裁下のジャーナリストたち (朝日選書)

ヒトラー独裁下のジャーナリストたち (朝日選書)

ヒトラー独裁下になると左翼系やユダヤ系のジャーナリストは早々に追放されたが、主流派ジャーナリストの多くはナチの検閲の下で活動を続けた。ナチ政権下という状況でジャーナリズムがどうなっていったかをジャンル毎に概説したのがこの本。現在の日本のジャーナリズムにおいても起こっているだろうと想像されるような出来事がキッチュな形で先鋭化して現れていた時代だったのだな、というのが読後の印象。異常な状況にはちがいないのだが今の日常と地続きな世界でしかないのはたしかだ。本編はヒトラー独裁下での事象が主な対象となっているが、訳者あとがきで解説されていたヒトラーが政権を取るまでのワイマール共和国のジャーナリズム状況も興味深い。

ナチズムの歴史は過小評価の歴史

ナチ党指導者の言説の危険性を察知し批判したのはごく一部の左翼系、リベラル系のジャーナリストや知識人だけで、ブルジョア系各紙を中心とするジャーナリズム主流は「検討にも値しない」とまともに取り上げようとしなかった。ドイツ知性の伝統に忠実で理性信仰に立脚するブルジョア系ジャーナリストにとって、ナチズムの核心である「反理性」と「反知性」は感覚的拒否反応を起こさせるもので、真面目に反駁すべき対象とは見なされなかったのだ。

  • 反理性
    • 憎悪の罵倒語:「人間のくず」「寄生虫」「売国奴」「精神的売春婦」
    • 情念を煽る叫び:「アーリア人種の血」「神聖ゲルマンの土地」
  • 反知性
    • でたらめな文体、論理は矛盾だらけ、嘘を平然とつく
    • ユダヤや反ボルシェヴィズム、指導者独裁のスローガンを千編一律に繰り返す

ナチズムの言説は口先だけの宣伝でしかなく、宣伝→過激化→現実から遊離→絵空事となる宿命にあり、絵空事はやがて大衆からも見捨てられるだろう、というのが主流ジャーナリズムの見方だった。ナチズムという事象にとりあえず「レッテル貼り」をし、それだけでなにか説明がついたように思い込み、客観的な検証や継続的な監視が続かないままだった。
ロシア革命のドイツへの波及を恐れる「反ボルシェヴィズム」と、帝政時代の権力国家に郷愁を感じる「秩序信仰」という時代の空気の中、保守層を中心に強力な指導者による秩序回復を求める気持ちが根強くあり、人々の左右両極に対する警戒の目は左には厳しく右には甘くなりがちだった。

ヒトラーの政権奪取に先立つ3年前の1930年1月、ナチ宣伝の「絵空事」が現実のものとなる。チューリンゲン州(州都ワイマール)の州議会選挙で右翼連立内閣が成立し、ナチ党国会議員団長のW・フリック(のちヒトラー政権の内相)が、内相兼教育相として入閣した。ナチ党員の政権参加第一号である。フリックは、学校や美術館、劇場から反ナチ的な人物を追放したり、黒人ジャズなどの「非ドイツ的」な作品を排除したりした。のちにナチ体制が徹底して遂行する言論、表現の自由への弾圧の、臆面もない予行演習だった。
だが、ジャーナリズムの感度はいぜん鈍く、読者にナチスの危険を目覚めさせるには至らなかった。この過小評価の原因は、フリックの在任が一年間だったので、一地方での一過性の事件と見たところにもあるのだろう。外交官、ジャーナリストでワイマール美術館長も務めたハリー・ケスラー伯爵の日記(ケスラー、松本道介訳『ワイマル日記』)などにも、警鐘を鳴らす特記事項はない。
ナチ宣伝が、ついに既成事実となったのである。「恐るべきことは、ナチ体制下で起こるはずの文化統制が現実に実現されていながら、大多数の国民が何らかの教訓をそこから学んでいない点であろう。いや、そうした文化統制を受け入れる素地を逆に醸成しつつあったという事実であろう」(『ナチス通りの出版社』所収の鎌田道生「右岸から左岸に及ぶイデオロギーの波」)
(『ヒトラー独裁下のジャーナリストたち』朝日選書560 p320-p321)

メディアと読者が陣営ごとに分裂

ワイマール社会は、社会構造的には労働者・農民階級、自営商工業・中間階級、資本家・上層階級に、政治思想的にはマルクス主義、民主主義、保守主義民族主義に、地域的にはプロテスタント州、カトリック州などにそれぞれ分立、反目していた。ジャーナリズムもそうした社会状況を反映して、メディアは自らが帰属意識を持つ陣営のメッセージを発信し、反対陣営に対しては非難攻撃に終始、読者も自らの帰属意識に従って新聞や雑誌を購読するため読者層が陣営ごとに縦割りに固定し、陣営を超えて横に広がることがなかった。陣営間を結ぶ共通の言葉を持てないジャーナリズムは、広く国民各層に訴える「世論形成力」がいちじるしく弱かった。
三大民主主義新聞といわれた『フォス新聞』『ベルリン日刊新聞』『フランクフルト新聞』は無党派の編集方針を掲げ、自他ともに認める民主主義・ワイマール共和国擁護派の砦であったが、三紙ともそろって創業者、経営者、編集首脳がユダヤ人であったため「ユダヤの赤新聞」という色眼鏡で見られ、右翼やナチスから目の敵にされた。

冷笑主義的表現手法の乱用

冷笑主義的手法はジャーナリズムにとって批判精神を発揮するための有力な武器のひとつだが、ワイマール状況下では病理現象のように突出し社会の混迷を加速することになった。
冷笑主義の武器を最も頻繁に駆使したのは左翼系またはリベラル系のジャーナリスト、作家のグループだったが、彼らはワイマール共和国の現状が建国の理念を裏切っていると反発、ショック療法によって迷妄を覚醒させようと市民社会を反社会的、反通俗的冷笑主義で無差別攻撃、反ナチスの立場に立つジャーナリズム同士が攻撃を応酬しあうこともめずらしくなく、それは結果として右翼や保守勢力を利する結果となった。
表面上は似たような冷笑主義を、よりニヒリスティックに臆面もなく高言したのは左翼・リベラルの宿敵、ナチ党のゲッベルスだった。本質的には異なるものの、両者ともワイマール体制のアウトサイダーとしての発言に終始したところが共通している。

「知性と理性」なるものについて思ったこと

反理性的なものへの感覚的拒否反応を制御できるほどには理性的でなく、反知性的言説によろこんで乗ってしまう人たちの心情を理解できるほどには知性的でない「知性と理性」の信徒たち。彼らは互いに認めあった同類同士で仲間内社会をつくり、その中に入れなかった者は対象物として自分たちの判断で分類して片づけてしまうけれども、理解し難い他者に対しては往々にして誤った解釈をしてしまいがちだ。また、理性的であるという鑑札を手に入れた者は、手に入れられなかった者に対してはしばしば非理性的な態度をとり、その責を相手に押しつけて自身を不問に付し、そのような事実があったことを忘れてしまう。
そんなの反知性的、反理性的な連中だってやっているじゃないか、と言うかもしれない。だけど、彼らは他人に「反理性」「反知性」というレッテルを貼る特権は持たないままなのだ。特権を持つものはそのことで恩恵を受けている。それをないことにするのは現実をねじ曲げることにしかならない。
「知性と理性」の信徒たちに存在を認識されなかったものや忘れられたものたちが、自分たちの「知性と理性」を信じて疑わない者たちの前に彼らの信仰の不十分さを思い知らせるために現れる。人間もまた自然の一部でしかないことを考えると、自然の大きな流れの中ではそういう季節がめぐってくるのも必然性があってのことなのかもしれない。
ちなみに、ナチスはナチ主義者への蔑称、ゾチス(Sozis)は社会主義者への蔑称、なんだそうです。ナチス=ウヨ、ゾチス=サヨ、みたいなかんじで使われていたのかな?