『あのころはフリードリヒがいた』ハンス・ペーター・リヒター(作) 上田真而子(訳) 岩波少年文庫 520

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

1925年にドイツで生まれた「ぼく」が、同じアパートに住んでいた同い年のフリードリヒ・シュナイダーというユダヤ系の少年と共に過ごした日々の記憶。ナチスが台頭し、ユダヤ人排斥運動が激化していった時代、「ぼく」とフリードリヒはいっしょに遊び、いっしょに学校に通った。
フリードリヒは「ぼく」に連れられてドイツ少年団の集会にもぐり込み、「ぼく」はフリードリヒにユダヤ教徒の儀式に連れていってもらったりする
学校では始業終業の際に「ハイル ヒトラー!」と敬礼するようになってしまう。しかし、それでも担任教師は生徒たちに、ユダヤ人差別がいかに不当なものであるかを説き、愚かしい偏見にとらわれることのないよう注意する。
家族のためにナチ党員になった「ぼく」の父親は、党の集会で得た情報からユダヤ人迫害がさらに強まると判断し、フリードリヒの父親シュタイナー氏に、早くドイツから出たほうがいい、と忠告する。それに対しシュナイダー氏はこうこたえる。「あなたが考えられるようなことは、起こりえませんよ、この二十世紀の世の中では、起こりえません!」
ユダヤ系とはいえ、ドイツ人で、親戚も皆ドイツに住んでいるシュタイナー家はドイツにとどまるのだが、ユダヤ人排斥は日毎に強まり、戦争も始まる。
巻末の年表で、ヒトラーが首相になってから第二次世界大戦終了まで、ユダヤ人排斥がどのように進展したかがよくわかる。
作者ハンス・ペーター・リヒターは「ぼく」やフリードリヒと同じく、1925年生まれのドイツ人。作者の子供時代の体験や見聞が反映されているのだろう、子供の日常、子供の目に映った周りの大人たちの様子が鮮やかに描き出されている。
市民の日常生活は、ナチズムの時代もいまの日本もそれほど変わりがないことがわかり、だからこそ起こりえないようなことがいまの日本でも起こりうる、それを忘れてはいけないと気づかされる。
人種差別発言が声高に叫ばれ、そのことがとがめられないというのは、やはりおかしいのだ。変なのだ。変だと思ったら、とりあえず「変だ」と言ってみよう。この本を読んで、そんなことを思ったりした。
ハンス・ペーター・リヒターにはこの他にも『ぼくたちもそこにいた』『若い兵士のとき』というヒトラー時代の経験を元にした作品があるそうです。
また、世界史リブレット49『ナチズムの時代』山本秀行(山川出版社)もおもしろい。当時のワイマール共和国と、現在の日本の状況はとてもよく似ている。
ナチズムの時代 (世界史リブレット)

ナチズムの時代 (世界史リブレット)