NHK1987年

週刊朝日2007年2月23日号「懐かしのスクープ劇場」の『「告発」NHK元社会部長が本誌に寄せた遺書』は、まるで今のことかと思えてくるようなものだった。(http://opendoors.asahi.com/data/detail/7909.shtml)
1987年5月1日、元NHK社会部長、神戸四郎氏が投身自殺した。週刊朝日編集部に届いた遺書は「NHKの前身である社団法人日本放送協会は国民の受信料によって支えられながら国の出先機関と化し、国民を無謀な戦争へかり立てて行った。NHKはその誤りを二度と繰り返してはならない」と結ばれていたという。
1987年は赤報隊による朝日新聞社へのテロが起こった年だが(参照)、中曽根首相の下、自民党が衆参院とも圧倒的多数を占め、「国家秘密法」が制定へ向けて準備されていた。言論・報道の自由を脅かすものだとしてジャーナリズム界はこれに反発、法案は後に廃案になるが、神戸氏は、NHKが国家秘密法についてどのような取り上げ方をするか注目していた。元社会部長だった神戸氏の目には、NHKの姿勢は報道機関としてまっとうなものではないと映り、そんなNHKへの失望と怒りが遺書に綴られていた。
詳しくは週刊朝日を読んでもらうこととして、気になった点をメモ。
神戸氏は「国家秘密法」を「スパイ防止法」とNHKが呼ぶことを批判している。国民に法案について誤った印象を抱かせる効果があるからだ。似たような呼び方の例としては「通信傍受法」とか「オウム新法」とか「テロ対策法」とか、いろいろありそうだ。また、報道のタイミングについて、自民党が圧倒的多数を占めているときは上程されてからでは手遅れになるとも。
法案なんてものは一般人にはわかりにくいものなので、ジャーナリストがそのへんを噛み砕いて伝えてくれないと簡単にだまされることになるのだが、わからないのは自分で勉強しない奴の自己責任で片づけられそうなのが「桜咲く祖国」の「美しい」現実なのかもしれない。
最近思い出すのは、昔読んだ栗本薫の小説『ゲルニカ1984年』。主人公のテレビディレクターは、番組作りのために戦争について調べたりミリタリーおたくに取材したりしているのだが、そのうち「いまはもう戦時下なのかもしれない」という思いにとらわれていく。
読んだ当時は想像力を痛く刺激されて怖くなったけれど、今となってはそのまんまで怖くなれる物語になってしまっているのかもしれないな。