2005年の久間章生

このところ、なにかとお騒がせの久間章生氏。
論座』2005年7月号「特集 リベラルの責任」には、政界のハト派代表として座談会に出ている。
座談会 『政治家は「勇ましい姿」より「ちょっと待てよ」の気概を』
出席者 ()内は当時

座談会のタイトルが三人の言いたいことをずばり表している。
久間氏も「戦争を知らない世代が増えて、戦争の悲惨さの実感が薄れてきている」「自民党はこれまで現実主義的な余裕のある対応をとってきていたが、今は余裕がなくなっている」「メディア時代のポピュリズムに対抗すれば、次の選挙で当選できるかどうかわからない」「しかし今のところは政府は結構バランスを取って判断している」等、一部の若手議員がその場の勢いや支配的な風潮に流されやすくなっているのなら注意しないといけないというようなことを語っています。
一部引用。

――確かに、憲法や安全保障政策などの議論にタブーはなくなってきました。しかし、その結果、国会議員の世界からは、タカ派的でナショナリスティック、さらには国家主義的な主張ばかりが聞こえてきます。自民党の部会や憲法調査会での議論は、こぶしを振り上げて「中国、何するものぞ」「韓国、けしからん」という声が多い。

久間
我々も年配者がそろって役職に就いたこともあって、部会の議論は若手中心になっています。そうなると、ある一点だけを主張する人もいます。例えば私がたまたま政調会長代理をしたときの北朝鮮制裁の話では、「政府に手段を与えるだけだからいいじゃないか」と言う。それも一つの考えだけれども、いろいろな情報を持っている政府が最終的に判断するときに、そういうツールを与えてしまうと、政府がここはやるべきではないと思っていても、党のほうから「なぜやらない」と責められるかもしれない。(特定船舶)入港禁止法案のときも、私と参院議員の武見敬三君と2人しか反対がなかった。幹事長代理の安倍晋三さんがまとめる側で、「ツールは与えていいじゃないか」という空気になって、法律になっていきました。経済制裁は一国ではできっこないし、相手を追い込んでしまうと不測の事態もありえます。圧力をかける姿勢は悪くないけれども、ちゃんと客観的に考えた上でやっているのかな、と危惧の念がありますね。

――若手から久間さんのような意見は出ませんか。

久間
あまりないですね。大勢に流されてますね。

――国会議員でもですか?

久間
山本七平の『「空気」の研究』という本がありますね。国会議員に限らず、「どうも言いにくい空気でね」ということが日本人の根っこにある(笑い)。会社の役員会でも、大勢が決まると、反対意見が出ずに空気に流されるでしょう。民族性かなぁ。

(引用元:『論座』2005年7月号)

「政治家は評論家とちがってどこかで決断しないといけない」「あちらの意見を取り入れながらも、どこまで譲歩して決めるかという、その決断・妥協ですよ」とも言っていて、なぜか座談会の最後にひとこと「今はもう私も、粘着力がなさ過ぎますわ」とつぶやいていたりする。
読後、がんばれ、とつぶやきたくなる2005年の座談会なのだった。

追記

ニュース見たら、防衛相辞任したとのこと。
asahi.com - 久間防衛相が辞任 「しょうがない」発言で引責