福田首相の「賢政」

まず「きまぐれな日々」から。
日本国民はコイズミの復活を許すな - きまぐれな日々
どうも週刊誌には福田内閣への非難・悪口がいっぱい出ているようですね。まあどの内閣も週刊誌上では悪く言われるのがフツーと言われればそれまでですが、ふと、でも私最近福田首相を評価している文章を雑誌で読んだことがあるな、と思って、探してみたら出てきた。
岩波『世界』2008年3月号に載っていた大瀧雅之「「金融立国論」批判」の中で、福田首相をほめている箇所があった。
いま話題になっているサブプライム問題とはどのようなものなのかを解説した後、「では日本はなぜ、アメリカ金融市場の阿鼻叫喚を対岸の火事として恬淡と毎日を送れないのだろう」という一文につけられた註(4)として、次のように書かれている。

こうした狂騒の中、福田康夫首相の株式・商品市場のヴォラティリティー脆弱性)への距離を置いた冷静的な対応は、近年まれに見る「賢政」である。金融経済学者や労働経済学者(最低賃金生活保護および障害者自立支援法にまつわる彼らの議論・答申を看過しないで頂きたい)の目を覆い耳を塞ぎたくなるほど露骨に営利企業の意を汲んだ発言や答申に対して、新聞報道の限りだが、福田現首相はたしなめるようにきわめて常識的な対処で臨んでいる。
サブプライム問題の端緒は小泉・安倍政権時代のものであるから、現在の喧噪は福田内閣の施政とは全く無関係である。つまり「市場原理」の貫徹が「構造改革」のうたい文句だが、サブプライム問題による邦銀の動揺は、小泉・安倍政権時代に金融業に不公正な保護政策がとられていたことの証左である。金融資産市場の動揺(特に株価の下落)が「構造改革」に不熱心な福田内閣の責任との暴言も相次いでいるが、上述の因果から考えれば、むしろ市場不介入を維持するのが「構造改革」の筋ともいえるのではないか。
なお余談だが、筆者がもっとも民営化に不適と考えていた「教育」や「介護」の株式会社化・民営化が、大変なスキャンダルを巻き起こしていることに留意されたい。メディアは一部の不心得者の仕業として処理しようと目論んでいるが、経済理論から素直に考えればこうした悲喜劇は個人でなくシステムの問題である。
(引用元:大瀧雅之「「金融立国論」批判」 岩波『世界』2008年3月号)

週刊誌にくらべると目立たないままスルーされてるようなので、こういうのも出てたよ、ということで。
たしかに、ネオリベ信者なら自力でなんとかせんかい、とは誰でも思うことだよね?