「マスメディア広告万能の時代は終わった」・休刊する「広告批評」の天野祐吉氏 - IT-PLUS
私は『広告批評』を買って読んだことがないんで休刊になっても特に感慨はないんですが、他の本で初出『広告批評』となっている文章はわりと読んだことがあるなと思って。一部ではよく出てくる誌名だったよな、その程度の記憶はあるかな。
上のページを読む限り、天野祐吉氏が終わったと語っている時代は、広告がその時代の最も鮮烈な大衆表現であると社会的に認知されやすかった時代、とでも受け取るべきなのでしょうか。
大昔なら映画界でやってたようなことを、広告という分野で男たちがやれていた(そして過剰にいい気になれていた)時代がたしかにあったと思う。
バブルの時代と相当かぶってるんじゃないでしょうかね。バブルの時代は企業側に、広告という分野でちょっとパトロンごっこを楽しんでみようか、という余裕があったということなのかな。
しかしそうなると、そこで「広告」と言った場合、表現としての意味合いが大きいんだろうな。商品に対しての宣伝効果より、広告それ自体の作品としての価値に重きを置いての話になってるんだろうな。
橋本治が広告について語っていた文章で、「広告は入場料を取らないで見せる。無料で、だれにでも見られる。どんどんどんどん、さあ見てくれって、無料で公開されてる。そこが広告が21世紀の文化だってことなんだ」という意味のことを言ってたのを思い出した。入場料を取って見せる20世紀の文化より、そこが新しいんだ、みたいな言い方でね。文庫本で読んだんだけど、もはやその本が手元にないので題名も書名も思い出せない。
その橋本の文章、なるほどな、と読んだ当時は納得したりしてたんだけど、しかし、そうなると、あれだね。文化としての広告を語るというのであれば、天野氏はネット上で無料で公開されている表現物を、広告と同列に置いて比べなければならないのではないだろうか。
ウェブ上の広告、あれは表現になってない、みたいなことを天野氏は言ってるけど、ウェブ上で買い物したい人にとってはクリエイティブであってほしいのは自分が買う商品であって、そこへ自分を導く広告は、自分の要望にかなった商品へと正しく導いてくれさえすればそれでいいんだから。
またテレビでは通販番組が近年増えてるようにかんじるのだが、あれは広告のうちに入らないのかね?
ところで、広告といえば、天野祐吉編『日本の名随筆 別巻23 広告』はおもしろかったですよ。寺田寅彦の物売りの声についての回想からはじまって、糸井重里や浅田彰の「マスメディア広告万能の時代」に書かれた広告についてのエッセイまで、いろいろな文章が読めて楽しいです。
『日本の名随筆』は、図書館に行けば置いてあると思うよ。
付記
上では、「広告の時代」なるものがあった、と書きましたが、それ自体が広告屋の広告によって作り出された幻影だったのではという疑念は消えません。しかし、マスメディア上に一時期「いま、広告の時代だ!」みたいな台詞がよく出てきた記憶はたしかにあります。