ふたりのヌーヴェルヴァーグ

DVDで鑑賞。
ヌーヴェルヴァーグ勃興から、その中心的存在だったトリュフォーゴダールが決別するまでを追ったドキュメンタリー。
1950年代のフランスで、若手映画批評家たちを中心に、旧来の枠にとらわれず今現在のリアルを描く映画を撮ろうという機運が盛り上がる。そのヌーヴェルバーグと呼ばれた運動から生まれたトリュフォー「大人は判ってくれない」は1959年にカンヌ映画祭で監督賞を受賞。その後ゴダール勝手にしやがれ」も文化的事件として話題になる。映画は興行的にも成功し、ヌーヴェルヴァーグが沈滞したフランス映画を変革すると期待が高まった。
しかしヌーヴェルヴァーグの勢いは長くは続かなかった。映画で観客を楽しませたいと考え仕事を続けるトリュフォーと、あくまで映画による映画文化とそれをとりまく社会批評を追及しようとし続けるゴダールは、1960年代の政治の季節を通過した後、映画人として反発しあうようになる。
盟友だったトリュフォーゴダールが決別するまでを、彼らのインタビューや映画、当時のニュースの抜粋を素材にして見せてくれている。
ヌーヴェルヴァーグって何? な人が、さらっと概要をつかむのには最適のドキュメンタリーなのでは。
ヌーヴェルヴァーグとはいうものの、これをリアルタイムで観たのは私の母親の世代になるだろう。このドキュメンタリーで観られる当時の映像は白黒が多い。それが時代を感じさせるのだが、「大人は判ってくれない」や「勝手にしやがれ」から抜き出された一場面は、状況説明のナレーションを伴うと、白黒であるがゆえにかえってその当時には革新的ともいえたのであろう新鮮さを再体験させてくれるようなところがある。
ヌーヴェルヴァーグが見せた手法は、今はもう一般娯楽映画にも取り入れられているのだけれども、最初に形にした人はやはりえらい。シネマトグラフを最初にやったのがフランス人のリュミエール兄弟だったのを思い出す。
映像と編集とそこにかぶさる音、そしてそれがどのように観られるかという文脈。それらが互いに反応し合って映画体験が生まれる。ゴダールは、その映画体験を含む映画文化を映画で批評しようという意気込みをまだ捨てていないのだろう。
トリュフォーは佳い映画を作ってくれた監督の一人だが、ヌーヴェルヴァーグといえばやはりゴダールになってしまう。ゴダールは一人きりでたくさんだがゴダールを世に出しただけでヌーヴェルヴァーグは十分意味があった。彼がいるのといないのとでは世界はまるでちがったものになっていた筈。映画文化の人柱みたいだ。
しかし、トリュフォーゴダールも、彼らの撮った映画は、どの場面も映像がみずみずしく動きに満ちているのね。フランス映画ならではの画面の質感と色の良さというのもある。このドキュメンタリーだと、局部抜粋で見せられるから余計にそう見えるのかもしれないのだけれども、あの映像の魅力だけで二人とも素敵に見えてくる。
若き批評家時代は、フランスのベテラン監督たちをこき下ろしていたそうで、なんだか60年代70年代にロックにかぶれた若い人が演歌を忌み嫌い、べつにロックに限らないんだけれども、日本の土着臭を忌避して自分だけは当時世界を席巻していたアメリカ文化の徒でいたがっていた、あの光景を思い出させる。すると、『カイエ』というのは『ロッキング・オン』だったのか? いや、これはさすがに『カイエ』に失礼だろう。第一、フランスの暗唱をびしびしやらせる国語教育の成果は、インタビューでの答え方や映画館から出てきた客のひとこと感想にまでしっかり現れており、私的な手紙も同様、まして批評文ともなれば、文章自体に要求される水準は相当高い筈。
あ、でも、この映画観てそう思っちゃったのは、私がフランス文化になにがしかあこがれを持っていて、その耳にフランス語の音が快く響き、その状態で日本語の字幕を目にしながら、白黒映像を観ているせいなのだろうか?
ゴダールの顔を見ているとそういうことを考えたくなるし、そういうことを考えるのも楽しいなと思えてくるのね。たまに顔みるのはいいね。本当にいい。名前もいいよ、ジャン=リュック・ゴダール
ところで、トリュフォーゴダールだが、昔は日本でも知名度が高く、映画の題名に監督の名がつけられていた。「トリュフォーの思春期」「ゴダールの探偵」といった風に。
いま、全国一斉公開になる洋画で、監督の名前が宣伝に使われるのは、スピルバーグタランティーノだけだろう。
すると、ひょっとして、強引にたとえると、スピルバーグトリュフォー; タランティーノゴダール; みたいなかんじになってしまうのか?
タランティーノグラインドハウスゴダールなのかどうかは不明だが、スピルバーグにはヌーヴェルヴァーグやニューシネマのタッチが感じられるし、トリュフォーとも親交があったそうなので、トリュフォーと並べても怒られないんじゃないか、そう思った。
このドキュメンタリーは映画をめぐる、トリュフォーゴダールという二人のフランスの男の子の記録でした。
私個人の好みとしては、ヴィスコンティパゾリーニというイタリアの男の子の方が好きだったので、この二人についてのドキュメンタリーも観てみたいです。マリア・カラスが出てくるよ、きっと。