三浦和義事件 もうひとつのロス疑惑の真実

監督:東真司; 出演:高知東生宝生舞
DVDで鑑賞。
三浦和義氏の側から見たロス疑惑騒動。監修として三浦和義の名が出てくる。
1981年、ロサンゼルスで三浦和義夫妻が駐車場にいたところを何者かに銃撃される。三浦氏は足を、夫人は頭を撃たれた。頭を撃たれた夫人は意識不明の重態となり、1982年に日本に移送されたが意識が戻らないまま他界した。当時この事件を取り上げた報道では、三浦氏は悲劇の主人公のような扱いだった。
1984年、週刊文春が「疑惑の銃弾」というタイトルで再び三浦和義氏を取り上げる。その記事では、三浦氏が保険金目当てにロサンゼルスでの銃撃事件を仕組んだ疑いがあるとされた。
この週刊文春の記事は評判になり、他のマスコミも三浦氏を疑惑の人物として追いかけ始める。映画では三浦氏から見たマスコミの狂騒ぶりが描かれており、このロス疑惑がテレビや週刊誌をにぎわしていた当時を思い出させる。
三浦和義の役を高知東生がやっていて、高知自体はいいのだが、高知東生だとぱっと見はとっぽいけど根はいい奴に見えてしまい、当時テレビで見た三浦氏の特異な印象はこんなものではなかったのにと思ってしまった。映画では、三浦氏がテレビのディレクターの言うことを真に受けてテレビ出演をした後、自分で放送を見てみると予想していたものとはちがっており、自分がまるで怪しい人物であるかのように見えるものになっていてショックを受ける場面もあり、現実の三浦氏からは乖離したマスコミ上の虚像が一人歩きしてしまうのを描くのがこの映画の主題だと思われるので、私が「自分があのころテレビで見た三浦氏の印象とはずれてるな」と感じたのならそれは映画が成功しているということになるのかもしれない。
自分の記憶をなぞれば、三浦氏のきょときょとと動く目、そしてあの金属がこすれあうような声、聞いていて発語された言葉がなにかうわすべりな調子に響くあの声の印象が強く残っており、その印象が「疑惑の人」という型によくなじむものだった。マスコミに対する態度も、マスコミが寄ってくるんだったら有名人ごっこを楽しんでやれ、とでもいう風に見え、そこらの一般人の発想や感覚からははみ出す過剰さと欠落を感じた。
私もマスコミの狂騒にまんまとのせられていたということなのか。
しかしさすがに銃撃事件の裁判の一審で、実行犯とされた人は無罪になったのに三浦氏だけが有罪になったのは変だと思った。三浦氏も二審では無罪とされたが、現在またこの事件でサイパンで再逮捕されてしまった。
この逮捕自体がおかしいという声、また、実行犯不明のまま逮捕ということにからんで共謀罪という罪名が出てきたり、また要注目となってしまった三浦氏。
そして要注目のはずなのに、三浦和義氏の逮捕に怒る市民の会のことはなぜかマスコミが広く伝えようとしない。
再び三浦氏は「疑惑の人」にされてしまうのだろうか。