雑誌ジャーナリズムの行方

調書漏えいの鑑定医に有罪/「軽率、公私混同」、奈良地裁 - 四国新聞社
奈良地裁判決要旨 - 四国新聞社
週刊新潮、「実行犯手記」は誤報/朝日新聞襲撃めぐる連載で謝罪 - 四国新聞社
週刊新潮編集長との一問一答 - 四国新聞社
本日の四国新聞は「調書漏えい 鑑定医有罪」が一面トップで関連記事も多く、それに加えて「週刊新潮誤報認める」関連も複数載っており、雑誌・出版ジャーナリズムについての記事が紙面を重く占領していました。
まず、週刊新潮の件ですが、私にとってはこの編集者のことばにつきるのです。

「うちらしくない記事。やばい話には週刊誌としての書き方がある。あんな直球勝負はないだろう」。新潮社のある編集者は打ち明ける。
(引用元:四国新聞2009年4月16日)

私も、なんであんなことになってしまったのか、ふしぎだった。実行犯を名乗っていたのは詐欺で逮捕され服役していた男。うさんくさいのはわかっていたはずだ。語られていた内容もニセもの的にしか思えないものだった。だから、こういうこと言っているみょーな人がいるんですけれども、みたいな取り上げ方をしてればここまで深刻な事態にはならなかっただろう。週刊誌ならそれはやれるし、週刊誌ならではの文章芸というのでおもしろく読ませることはできたはずだ。
週刊新潮は「『週刊新潮』はこうして『ニセ実行犯』に騙された」という記事を掲載し、誤報を認め、お詫びしているとのことで、詐欺師にひっかかった体験談を充実した黒い報告書にして読ませてくれることを期待したい。
一面トップだった「調書漏えいの鑑定医に有罪」だけど、これは「表層深層」に出ていたこの医師のことばが印象に残った。

事件後、「見せる相手を間違えた」と悔いた崎浜被告。判決後の記者会見できっぱりと言った。「見せた信念は今も変わらない」
(引用元:四国新聞2009年4月16日)

崎浜医師は広汎性発達障害のことが世間にもっと理解されればという期待があったのだが、伝えた相手に裏切られた、ということになるのだろうか。
岩波『世界』2009年5月号に、佐野眞一「雑誌ジャーナリズムは蘇生できるか」という記事が載っている。題名どおり、日本の雑誌ジャーナリズムの現状を憂える内容なのだが、そこでジャーナリズム劣化の例として挙げられているのが、週刊新潮のニセ実行犯告白手記と、草薙厚子『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)。佐野眞一によれば草薙『僕はパパ〜』は、少年の供述調書の完全な引き写しで、ノンフィクションに必須の取材を欠いた代物だという。しかも、草薙氏は取材源の医師とは「供述調書を直接引用しない」と約束していたのにも関わらず、その約束を破って引き写しているのだ。(参考:PDFファイル:『僕はパパを殺すことに決めた』調査委員会報告書

社内で異議を唱えたのはただ一人。崎浜被告には出版すら知らされず、法務部のチェックもくぐり抜けた。07年5月21日、「僕はパパを殺すことに決めた」は書店に並んだ。発達障害のくだりは申し訳程度しかなかった。
(引用元:四国新聞2009年4月16日)

個々のうかつさが誤報や裁判沙汰を呼び込み、結果として雑誌・出版ジャーナリズムに対する信頼感が殺がれていくことを佐野眞一は心配している。
また、佐野は雑誌は書き手を発掘し育てるという役目を果たしてきたことを指摘し、資本の論理だけで雑誌の休刊が相次ぐ現状は、ジャーナリストを養成する場が失われていくことにつながりかねないと危惧している。くわしくは『世界』5月号を読んでみてください。
「雑誌の値打ちは、送り出した書き手によって決まる」いうのは、よく聞く台詞だ。
ノンフィクションというジャンルが廃れるとは思えないのだけれど、ジャーナリストを育てる場としての雑誌はどうなるのだろうか。ムックみたいな形になるのかな。