笙野頼子『金毘羅』集英社

生まれてすぐ「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」という声にならない叫びを残して死んだ女児。その肉体に入り込んだ金毘羅が、人間の世界で自分を成り立たせるべく格闘する一代記。
冒頭より、ひとりつっこみの多い金毘羅の独白が続く。ひとりつっこみと書いたが、これは読者となる金毘羅ではない他者を意識した上で、金毘羅なるものがどんなものなのかを説明するのに必要だからだろう。そう、必要なのだ。
そこには語り手が人間世界では女性であるからという事情もうかがえる。女性の場合、発言の受け取られ方が男性の場合とはちがってしまうことがあたりまえになりがちだから。そして誤解されても十中八九自己責任にされ、「誤解されるのが嫌ならそんなこと喋るな!」で、言い訳や弁明が許されないのがあたりまえになりがちだから。
金毘羅ゆえに日本の女の在り方にすんなりと適応できず、語り手は作家として作品を書くことでしか外の世界とかかわりが持てない自分を自覚し、そのことを引き受けていく。
自分は金毘羅だ、だからこの世にいるのだという覚醒に至るまでには、自分と自分を取り巻く外界がどういうものかについて考え悩み続けることになるが、その過程で自分を支える信仰を、自分にとっても自分が関わる他者にとっても有効なものにするためにはどうすればいいのか。それについて考え抜き実践を試みることが、生きることへとつながっていく。
苦闘する自分を一歩引いて眺め、時には笑ってみることも、狂わないためには必要なのだ。
神仏だけではなく、滅ぼされいないことにされてしまった者たちの声、海の向こうから日本に渡ってきて人々に影響を与えたことども、それらすべてを習合し、信仰する者が自分の中でそれを昇華する。
金毘羅はそうすることで未来の可能性を見失うことなく生きようとする意志のことなのでしょうか。
私のつたないことばでは感想も十分につづれそうにないのですが、嵐の夜暗い海から顔を出した金毘羅が、山の灯を見、誰も気づかなかった赤子の声を聞きとめたところからはじまり、最後の一行を読み終えたとき、まるで壮大な交響曲を聴き終えたような充実感に満たされました。
読みながらいろいろ刺激されて、これまでになかった興味や関心も湧いてきましたし、影響はこれからじんわりと自分に効いてくるんだろうな。
この本が読めてよかったと思う。だから私も、金毘羅に感謝します。

金毘羅

金毘羅