『世界』と『週刊金曜日』

件のシャルリエブド、追悼の意味も込めて次号は100万部出すそうですが、『世界』や『週刊金曜日』が地道に続いていることにも目を向けて欲しい今日この頃です。

世界 no.865 (2015.2)

http://www.iwanami.co.jp/sekai/
新連載 解題「吉田調書」第一回 福島第一原発事故を考える会
題名通りです。これは朝日新聞は謝罪に追い込まれましたが、新聞の見出しの表現がやや煽情的になるのはこれまでふつうにあったことで、読む方もそれは承知の上で本文と合わせて読んでいた筈だったのですが、どうも通じなくなっているのだなあと思わされました。原発事故直後に出た『AERA』がネット上で大バッシングにあったことに通じる出来事に見えましたね。こういう読まれ方を含めての変化はマスメディア全域で起こっていて、シャルリエブド襲撃にもつながってくる事象なのかもしれません。ネットとくにツイッターの普及でこれまでもずっと相当なボリューム層として存在していた読解力が書き手の想定外な方たちの声が可視化されるようになっただけなのかもしれないのですが、もうネットがなかった時代には戻れないですしね。
この連載は、もう一度ちゃんと「吉田調書」を検分しようという企画です。興味のある方、ぜひ『世界』をお読みください。

週刊金曜日 1022号(2015.1.9)

http://www.kinyobi.co.jp/
なぜ、いつも犠牲者は少女なのか。四方田犬彦「犬が王様を見て、何が悪い? vol.21」
そうなんだよねえ、でもなんとなくわかるというか、言わずが花というかさあ、という、ありがちな側面にあえて焦点をあてて語り下ろす四方田犬彦。おもしろいので、ぜひ、読んでみてね!
まじめな話として、犠牲者の少女というイメージが先行するために、実際の事件の被害者が少女ではないせいで「イメージが合わない」「ミスキャスト」という扱いをされて迷惑するという弊害が語られているわけです。
語り手や聞き手が自己を投影しやすい対象(犠牲者)が、無垢な美少女、なのでそうなりがちである、というのはあると思いますよね。『不思議の国のアリス』も、作者の中年男はアリスという名の少女という他人を描いたのではなくて、自分がアリスに同化して楽しんでいるわけだし。
などと、私は四方田犬彦のエッセイを読みながらぼんやりと考えたりいたしました。