『報道不信の構造』(ジャーナリズムの条件 2)岩波書店

報道不信の構造 (ジャーナリズムの条件 2)

報道不信の構造 (ジャーナリズムの条件 2)

題名通り、近年、市民からジャーナリズムが不信感を持たれ、マスコミから市民を権力側が守るという構図すら見られるようになってしまったのは何故か。各界ジャーナリストから、報道の現状と問題点を探る文章が寄せられた本。
内容は大きく三つに分けられている。
「政治・経済報道の基軸」「事件報道のありかた」「戦争報道の落とし穴」
各部ごとに、新聞、雑誌、テレビで活躍するジャーナリストが体験をもとに報道について語っている。
国正武重「政治家への取材と報道」では、国正氏が朝日新聞記者時代、1981年当時首相だった鈴木善幸から日米首脳会談記録を内密に渡され、情報源が首相だと悟られぬよう「間接、利用」という形で新聞記事にし、平和憲法を持つ日本がレーガンの世界戦略に抱き込まれないようにしたいという鈴木首相の思いを伝えたことが書かれている。くわしくは読んでもらいたいが、首脳会談で鈴木首相はレーガン大統領に「体を張って」(鈴木氏)進言し、これに対してレーガン大統領は「米国としては、日本に対して憲法に違反することを求めているわけではない。また、日本に対して圧力を掛けるような印象を与えることを望んでいない(We do not want to appear to be in a position to pressure you)ということを申し上げたいのです」と言葉を返したとのこと。
その後、鈴木首相は1982年に突然退陣を表明する。このとき、自民党最高顧問だった岸信介元首相が「日米関係の悪化」を理由に倒閣の動きを見せだしたという情報が出た。しかし、取材しても原因をはっきりとつかむことはできなかった。
「ポスト鈴木」の中曽根康弘は、「私が首相に就任した当時、日米関係は最悪の状態でした」と後に語っている。鈴木善幸は引退後も「黙して語らず」を貫いた。
また、中曽根、やっぱり、中曽根、いつも、中曽根。
国正武重「政治家への取材と報道」では、政治家と癒着せず、しかし取材先との信頼関係を保ちつつ、読者にとって価値のある報道をしていく新聞記者の仕事について、実例を挙げて語られている。
他にも、小谷真生子氏によるテレビでの経済ニュースの伝え方など、おもしろい記事がたくさん読めます。