ラブリーボーン

DVDで鑑賞。
14歳で殺された少女が、自分の死とその後の世界を受け入れるまでを描く。
私はスージー・サーモン。1973年12月6日に14歳で殺された。
死んだ少女がそう語り始める。スージーは両親と妹、弟、そして飼い犬のホリデイと閑静な住宅街で幸せに暮らしていた。しっかりしていて活発で、誕生日のプレゼントにカメラを買ってもらってからは写真を撮るのに夢中になり、将来は野生動物を撮る写真家になりたいと夢見ていた。学校には気になる男の子がいたが彼とデートする約束もした。
両親に守られ、幸福な日々を送るスージーは基本的に素直な性格。しかし、好奇心が強いことが仇になり、男に殺されてしまう。
父親は、スージーは知らない人にはついていったりしないから知り合いの男の中に犯人がいる筈だと刑事に話す。しかし、犯人への手がかりは見つからない。スージーが残した撮影済みのフィルムを現像して見た父親は、そこに近所にすむある男が写っているのを知る。スージーとも顔見知り、そして挙動に不審な点がある。父親はその男を疑いはじめるが、刑事には証拠もない以上なにもできないといわれる。
死んだスージーは、そんな家族のことをやきもきしながら見守り続けていた。
心霊ものと犯罪もののミックス。しかし、きわもので終わっていない。死んだスージーの現世への執着、家族や友人への思いは強く、スージーの思いと遺された家族の思いが共鳴し合うかのような瞬間が、スージーが霊界で見る具象として表現される。しかし、それは現世ではスージーを思う人の心理描写にとどまり、死んだスージーが霊となって直接現世に影響を及ぼす形はとらない。現世での事件捜査はあくまで警察の判断の下に行われている。
死んで霊となってしまったスージーによって、犯人の過去が観客に説明されるあたりは、うまい心霊ものの取り入れ方になっていると思った。犯人のその後の顛末も、ずっとおはなしを追っていると罰があたったようにも見えるが、現実には偶然の出来事であろう。
自分がいなくなった後、悲しみを乗り越えて家族が幸せになっていくのを見届けることで死んだスージーも成長する。暗いままで終わることのない話になっていた。
犯人役を演じたスタンリー・トゥッチがこの物語の現実感を支えていた。すごい役者だ。
また、忘れられないのは、犬のホリデイ。家族の一員になりきったいいサポートでした。GJ!
死んだ少女が後に残った家族や友人を見守る、という話は、少女マンガで読んだことがある。大昔別冊マーガレットで木内千鶴子がそういうおはなしを描いていた。また、吾妻ひでおが、殺された少女が探偵を手助けして犯人に復習するマンガを描いていた筈だ。他にもあるだろう。死んだ人が死んだことを受け入れられなくて霊になってさまよう話は山岸涼子が描いていたな。
この映画の原作はベストセラーだそうで、外国の人もこういうおはなしが好きなのかなと思った。女の子が好きなのかもしれませんね。
ちょっと印象に残ったのは、スージーの語りと共に見せられる彼女が殺害されるまでの経過の部分の一場面。
「私はすぐ隣に住む男に見られていたのです」というスージーのナレーションと共に映るスージーと祖母がショッピングモール内のテーブルに座って話をしている情景。その中に、二人のすぐ向こうのテーブルに座ってスナックを食べている男がちらりとスージーの方を見るのが映る。大きなおっさんで、表情などちょっとこわい雰囲気に見え、あ、ひょっとしてこの男に? と思ったら、すぐにスージーが「この男は犯人ではありません」と打ち消すんですね。
映像の撮り方、見せ方と、ナレーションを相乗させることで観ている側が誘導されてしまう例を体験させてくれたようなかんじでした。