レクイエム

DVDで鑑賞。
テロ加害者と被害者の弟が30年後に対面する。
1975年、北アイルランドは紛争状態となり、プロテスタントカトリックの対立は少年たちにも影響を及ぼしていた。アリスターは友だちと共謀し、プロテスタントの労働者に対して出て行けと言った男を殺害する。しかし、窓から銃撃したとき、標的の男の小さい弟・ジョーが犯行を目撃してしまう。アリスターもジョーを見据え、しかし子供には危害は加えずそのまま立ち去った。
その事件はアリスターとジョーのその後を変えてしまう。そして30年後、テレビが二人が再会する番組を企画する。アリスターとジョーは、ひとまずは出演することを承知するのだが。……
プロテスタント:イギリス人; カトリックアイルランド人; と見なしていいのだろうか。ギャング団に入り、男として認められたいと血気にはやる少年・アリスターの部屋の鏡には隅っこにユニオン・ジャックのシールが貼ってある。大人になってから行くパブのような店の店内にもユニオン・ジャックが装飾に使われている。一方、ジョーの行き着けの店では緑色の装飾がシンボル的に使われていた。
事件当時のジョーはどう見てもよくいって小学校の中学年くらいにしか見えないのだが、長男が殺されたショックで動転した母親は、おまえはその場にいて何もできなかったのかとジョーをなじる。
アリスターは服役を終え、若者がテロ行為に走るのを防ぐのに役に立てばと自分の経験を語ったりしているが、一方では、あの小さい弟はいまでも自分を許さないだろうと思っていた。
テレビ番組のスタッフによって、大きな屋敷を舞台に二人の再会が企画されるが、ジョーは対面直前になって平静が保てなくなり、撮影現場から逃げ出してしまう。お互い顔を合わすことがなかったアリスターとジョー。しかし、撮影現場で相手の情報を断片的に知る。アリスターは自分からジョーに連絡を取り、再会を果たそうとする。
つきまとう記憶に悩まされるジョー、若気の至りで起こした事件の重さを日々思うアリスター。映画終わり近く、破れた窓にゆっくりと寄っていくカメラ、それがそのままこわいものをのぞくように二人の姿をとらえる。アリスターとジョーの物語として見れば、これは二人の男の姿をよく描き出した作品になっているだろう。
ただ映画を観た後はなにか割り切れないものが頭の中に浮かんできた。この映画では一応暗い過去は乗り越えられる。それを可能にする大きな要因としてジョーが父親になっているというのがある。出所してからも孤独なアリスターとは対照的に、ジョーは結婚し二人の娘にめぐまれている。この娘を守り育てなければならない、娘には未来があるのだから。ダメになりそうだった男が父親として再生する、いい話にはちがいない。しかし、仮にジョーにも家族がいなかったらどうなっていただろうか。たとえばジョーのもう一人の兄は事件後麻薬の過剰摂取で死亡したと劇中で語られる。殺されたわけではないが事件がもとで未来を失ったのだ。
レイプの被害者には、レイプされたことが原因で子供が産めなくなったという例もある。肉体的にはだいじょうぶでも、情緒面でなかなか立ち直れず、自分の家族を持つということができなくなっている人だっているだろう。そういう人たちは、どうやって過去を乗り越えればいいのか。どうなれば過去を乗り越えたということになるのか。
映画を観た後余計な事まで考えさせられるということは、作品としても優れていたということなのだろうが、小品佳作といったかんじ。テレビ番組のお膳立てで再会、という設定が、二人の迷う気持ちを距離を取って描き出すのにうまく作用していた。