2006年の広告屋

岩波ブックレット『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』をめぐる一件 - 首都圏労働組合 特設ブログ
上に件のブックレットの新聞広告の図が載っている。「憲法を変えて戦争へ行こう」と大きな字体で表し、その下に小さな字で断り書きのように「という世の中にしないための18人の発言」と添えられ、その下にさらに小さい字で発言した18人の名前が並ぶ。
上の記事を読んでまずおどろいたのは、このブックレットのタイトルは最初『憲法を変えて戦争に行こう――18人が語る、不戦・平和・憲法9条』だった、ということ。仮に広告に元のタイトルのままで出ていると、改憲派のブックレットと誤解する人も多かったのではないだろうか。タイトルが最終的に『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』におさまったのは、寄稿した18人の内、吉永小百合だけが元のタイトルに強硬に反対し、変更しないのなら自分の原稿を引き上げるとまで迫ったからだという。
新聞に広告が出た場合、本は読まないが広告だけは見る人の数が圧倒的に多いだろうということは十分想像できるとこだし、元のタイトルのままではその下に名前をつらねると吉永小百合改憲派と誤解する人だっていてもおかしくなかった。だからこの吉永小百合の反対はまちがっていなかっただろう。また、寄稿者の中で反対姿勢を貫けるのがスター・吉永小百合だけだったのかもしれない(一般人への知名度という点では18人中圧倒的)。
また、当時岩波の宣伝部にいた金氏のブックレットの書名や広告に対しての危惧も、きわめて常識的でなおかつ説得力があり、岩波にはさすがに優秀な人がはいっているんだなあと思ってしまうのだが、どうも当時の岩波の幹部には、広告屋の長広舌のほうが受けがよかったようだ。
上の記事で、久しぶりに広告屋さんの広告屋自慢を読んだ気がした。通販カタログの付録にブックレット、というのは、これまで岩波のブックレットなど手に取ったことのない人にもブックレットが届き、それを読んだことがきっかけで岩波の他の本にも興味を持つ人が出てくるかもしれないわけだから、私は否定しない。自分が岩波の本を読むようになったのもふとしたきっかけからだったから。しかし、ここぞとばかりに商品キャッチの大切さを過剰に力説されると萎えるわ。キャッチに乗せられないようにと諭す役がたとえば岩波書店だったりはしないのかね。もうそうじゃなくなってるのかな。でもね、キャッチー路線は、似合わないから、岩波には。無理して似合わないことしたりしないほうが無難だと思うんだよね。
カタログハウスの斎藤駿が『軍縮問題研究』2006年5月号に発表したエッセイ「そろそろ、信念から戦略へ――説得力のつくり方」
2006年だと、まだ「戦略」というのが陳腐化しきってなかったのかな。分野にもよるだろうけれども、そういや上野千鶴子とか宮台真司も「戦略として」なにかするのが一時期非常に好きだった記憶があるが、それも過去のことだしな。
上の記事で問題とされているのは岩波書店や一部護憲派なのだが、私は読んで、広告屋の最後の悪あがきを見ているような印象が強く残った。斎藤駿によれば2006年には「手弁当で馳せ参じてくれる護憲の広告人」がいっぱいいたそうだが、いまでもいるのだろうか。当時は「どこへ馳せ参じたらいいのかわからないから動けない」状態だったそうだが、いまだにわからないままなのか。
まとまらなくなってきたな。とりあえずメモとして。
軍縮問題研究』http://www.heiwa.net/index.html