シャルリエブド関連記事いくつか

ネット上で相変わらず事件について読んで回っていたのですが、目についた関連記事を紹介しておきます。

これはテロでなく集団殺人事件だ Parisシャルリ・エブド襲撃事件を斬る−藤原敏史・監督(日仏共同テレビ) http://www.france10.tv/international/4581/

私はボニーとクライドを連想してましたが、この著者はアメリカのコロンバイン高校で起きた集団殺人事件を挙げていました。いずれにしても、疎外され未来に希望を持てなくなった若者が引き起こした“少年犯罪”に近く、いわゆるテロというのとは異質な事件なのではないかということ。犯行を形作るために持ち出された涜神への怒りは、自らの格好をつけるための口実ではないのか、実質は少年犯罪と見るべきなのでは、と。私も同じ感想を持っています。そして、フランスの大人たちがこの事件を曲解して受け止めた果てに、「表現の自由」を口実にして、見当外れのことをしまうのではないかと危惧しています。

「風刺の精神」とは何か?〜パリ銃撃事件を考える 菊池恵介(レイバーネット) http://www.labornetjp.org/news/2015/0115kikuti

シャルリエブドの軌跡を時系列を追って解説してくれています。1968年のパリ5月革命を背景に誕生した風刺新聞で、当初は左翼に受けのいいカウンター・カルチャーだったそうですが、2000年代以降は反イスラムを煽るネタが目立つようになっていたとのこと。かつて左翼だった言論人がなぜか転向して『正論』や『諸君!』の常連さんになったり、若手がたとえば『宝島30』から排出されるようになったり、日本ではそういう流れがあったのですが、ひょっとしたらフランスも、70年代ならまだ商売が成り立っていた左翼風味のサブカルがだんだん売れなくなって続けられなくなるとか、大衆の気分の変化に呼応するのも役割のひとつであるサブカルチャーになると、世の中の雰囲気をよくもわるくも反映させざるを得ないなど、日本に共通する事情があったのかもしれません。
しかし、現在のヨーロッパでイスラム教徒を揶揄するのは、日本でたとえるなら在日を揶揄するのと似たようなことになるのでは。アルカイーダがイスラム国がと言われてもねえ。海外情勢として扱うなら、それをしているとわかるやり方でやらないと、だめなのでは。炎上商法で操業していたマンガ紙にそこまで期待するのは無理なのでしょうが、無理なら無理で、外からちゃんと批判されたりしてたのかしらね?

表現の自由」の美名に隠れた憎悪も糾弾せよ ジョーダン・ワイスマン(ニューズウィーク日本版)   http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/01/post-3517_1.php

これは、シャルリエブドへの批判となっている。の最後でこの事件を受けてグーグルやガーディアン・メディアグループがシャルリエブドへ寄付を申し出ていること、それだけでなくフランス政府が支援を約束したことが伝えられていて、げっそりした。私企業が寄付するのは好きにすればよいように見えるが、シャルリエブドというのは全方位攻撃という姿勢を売り物にしていたためこれまで広告掲載はしていなかったと伝えられている。だから、経営が苦しくなると愛読者に寄付を呼びかけていたわけで、それが大企業から寄付されるというのも妙に見えてしまう。
まして、フランス政府が何故? ことわれないのか、シャルリエブド。
なんというか、倒錯した光景がまだしばらく続いて展開しそうです。