鰻文

志布志市のPR動画だが、例のブレンディの動画と同様に、ネット限定公開動画であればうな子も有りではないかと私は思ったので、ネット上での激烈なる拒絶反応を目にしてああもう私は主流から外れきっているのかもしれないなあと気づかされた。
私企業ではなく自治体がやるのはだめだ、という意見はなんとなくうなずけるような気もするのだが、田舎の小さな自治体がちょっとおもしろいことしようとしちゃいけないんですかね、とつぶやきたくなったりもする。
ブレンディの動画同様、動画内容自体が現実を表しているようにも受け取れる(そこには批評も含まれている)ものになっているので、ネット上という、たとえていえば昔のテレビの深夜枠とか、二番館三番館あたりの映画館で、そういうところを観たい人だけに公開されているとすれば、あのかわいらしい皮に包まれたあやうさは、ちょっとおもしろいよねあれ、な、物件としてあっていいのではないか、と。
しかし、これを、極私的感想としてでも、たとえばツイッターでつぶやくと大変なことになりそうなのですよね。
私にはまだ、ネットでだけ、というと、テレビや週刊誌に比べてもアングラというかマイナーな印象を持ってしまうところが抜けないのだが、今はもう、ネットで公開されたものは、目ざとい人が見つけてすぐツイッターで拡散してしまいますからね。しかし、ツイッター見てる人は、テレビ見てる人にくらべたらまだまだ限られてると思うのですが。
動画の内容がどうのこうの以前に、私は、自分が見て不快感や嫌悪感を持った物件をツイッターで拡散して他の人にも見せようとする、あれが、ある種本能的行為として現れる、そこに興味を覚える。自分がいいと思ったものを人に勧めるというのではない、なにかこう、自分がもらった厄を他の人になすりつけるような、なんだろう、あれは。

これは前にも日記で書いたことと連動してくるのだけれども、いまはまとめられそうにないので。とにかく、我が身をふりかえり、もうそういうことはなるべくしないように心がけたいと思うだけです。