四国新聞より
https://www.shikoku-np.co.jp/national/social/20181129000711
報道によれば、事件に関わった人たちすべてが亡くなられている模様で、もうこれ以上くわしく動機や成り行きを解明することはむずかしいのではないかと思われる。
この事件から、思い出した、この本。
イマーゴ imago 1994年4月号 特集=犯罪の心理学<排除>と<逸脱>のエピステーメ●<権力と身体>M・フーコー ●<徹底討議>別役 実/芹沢俊介
- 作者: 小田晋,D・O・ルイス,福本修,立花正一,加藤久雄
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 1994/04/01
- メディア: ムック
- この商品を含むブログを見る
<徹底討議>別役実/芹沢俊介「<排除>と<逸脱>のエピステーメ ドラマ消失後の情報としての犯罪」で、戦後からこの本が出版された1994年までの、日本の犯罪の傾向の変遷をたどりつつ世の中の変化を見るという流れでいろいろ語られているのだが、そのなかで、「終戦から高度成長期が始まる1950年代の後半くらいまで、農家皆殺し事件というのが不思議なくらい多かったのだが、地方で何人も殺される大事件が起きても全国区のニュースになりにくく、意外と知られていない」というのが出てきたのを思い出した。
上の討議では、そのころの農家皆殺しは日本の産業構成が再編されていく当時の世の流れと呼応した面があり、情報化へ向けての離陸期の犯罪といえるのではないか、と語られています。
この本が出た1994年は、オウムの地下鉄サリンテロが起きる前、そしてまだ今日のようなインターネットの普及は予想もされていない時期です。それも頭に入れて、戦後から1994年まで犯罪動向をたどることで見えてくるものがある、という趣向、くわしくはimagoを読んでみてください、おもしろいですよ。
それと、上のように頻発した時代があった、というのとはべつに、田舎ではときどきこういう一家皆殺し事件が起きるよなあ、という感想も私にはありました。
都会の闇、狂気、についてはマスメディアでよく語られる(ネタにされやすい)ですが、田舎の闇や狂気というのもある、と私は思います。そして、都会に住む人は「田舎の闇や狂気は、昔からの因習が残っていたり、都市化されてないゆえの時代遅れなだめな部分なんでしょう」となりがちで、そこで終わって、都会の闇や狂気のようにそれについて考えたりすることもされないまま「田舎はあほやから」で放置されがちです。
たしかに、田舎にはそういう面もある。しかし、田舎の狂気、には、都会であれば人工的夾雑物があふれていてごまかされたり薄められたりもする時代の狂気が、そういうものがない田舎ゆえにピュアに現出するという一面もあるのです。
今回の宮崎の事件にも、そういう一面があると私は直感しますが、直感ですから(笑)極私的感想でしかなく、したがってこのはてなダイアリーに「わたしはそう思ったんだけどぉ」と書いておくことにするのです。
亡くなられた方々の魂が安らかでありますように。