『巨聖逝く 悲劇の天才科学者 村井秀夫』AUM PRESS

巨聖逝く―悲劇の天才科学者村井秀夫

巨聖逝く―悲劇の天才科学者村井秀夫

不穏当かもしれませんが、オウム真理教の事件に興味を持った方にとっては参考資料になるものですので、こういう本もありますよ、と書いておきたくなりました。
地下鉄サリンテロ後、オウム真理教団が世間の好奇の目を集めワイドショーに追いかけられていた頃、報道陣が取り囲む青山道場に入ろうとしたところで刺殺された村井秀夫。彼を追悼するオウム本です。
プロローグは村井秀夫を供養する麻原彰晃のことば、エピローグでは、事件当時青山道場にいたオウム信者から見た事件現場とオウムの対応が語られています。
内容本体は、村井秀夫が出家してから修行し、その中で何を体験し、マンジュシュリー・ミトラ正大師となってどんなことをしようとしていたかを村井秀夫自身が語ったものをまとめています。出典はオウム出版の雑誌やオウムのラジオ番組ですね。
学生時代からヨガに興味を持っていた村井秀夫が会社員生活に倦み始めた頃、本屋で見かけた麻原彰晃の本を読み、オウム真理教セミナーへ出かけたときのこと。

それと、お会いする前に、チラッと尊師とケイマ大師が歩いているのを見かけたんですが、そのときにパーっと体が燃えて、実際熱くなって、こういう体験、初めてでしたからびっくりしました。実際にお話ししてみると、すごく暖かく大きい人だなと思って、それでもう刻みついてしまいましたね。何か姿が。そして、その帰りに、もう東京にアパートを決めて帰りました。アルバイトをしながら修行しようと思っていたんです。
(引用元:『巨聖逝く 悲劇の天才科学者 村井秀夫』AUM PRESS p.24)

ああ、これは恋だな。上の部分を読んだとき、私はそう思いました。運命の出会い、ですね。村井秀夫だけでなく、麻原彰晃にとっても、そうなってしまいましたか。他の古参幹部にも「とにかく尊師が好きなんですよ」と語っていた男性信者がいましたし、相性が好い者にとっては麻原彰晃はそれはもうたいへんに魅力的な人だったのでしょう。教団のリーダーをつとめていた人ですから、信者をうまくコントロールする術も心得ていたでしょうが、麻原に心酔した幹部クラスの信者にとっては、マインドコントロールという概念ではおさまらない、恋愛感情に似た、麻原一方だけのせいにしたのでは片づけられない何かがあったんだろうな。
オウム真理教的発想や思考形態や趣味傾向の片鱗を見ることができます。これはカセットブックでしたか、麻原の説法やマンジュシュリー・ミトラの歌が入ったカセットがついていて、麻原の平易といいますか、カジュアルで親しみやすい語りを聞くことができます。(声がいいんだよね……)
あと、ふと思い出しましたが、このころ流行っていたスピリチュアル系のノリがわかりやすい『1999年―対談集』 (高橋克彦 講談社文庫) も紹介しておきたい。

1999年―対談集 (講談社文庫)

1999年―対談集 (講談社文庫)

この対談集では「え、こういう方だったの?」とびっくりするくらい対談相手に共鳴している高橋克彦ですが、1999年には週刊誌で「いやあ、どうなるかと思ってましたけどべつにどうってことなかったですね」と笑いながら過去の自分のことも語っておられましたので、安心しました。対談では、横尾忠則が天使について語っていますので、横尾ファンにはおもしろいのではないでしょうか。
あのころは、こういう話が、あれですね、べつに心霊とか祟りとが本気で信じ込んだりしてるわけではないけど「ほんとにあった怖い話」とかたまに読んでおもしろがったりする、あのかんじで、よくいろんな雑誌に出ていたんですね、イロモノ的に。大槻ケンヂがそのあたりはうまく語れるんじゃないかな。
そして、ある時期ね、斯界の先生方が声をそろえて「1995年があぶない」と言ってたりしてたんですよね。。。
麻原処刑で、オウムのことがニュースによく出てくるのを見て、そういうことを思い出したりした今週末でした。