『世界』で「小山田圭吾問題」の検証をしてください

 

 『世界』10月号の特集2は「東京オリンピック 失敗の本質」でしたが、私が知りたかったことは書かれていませんでした。

 今回の東京オリンピックに関して私に棘のように刺さったままになっているのは、ネット上では「小山田圭吾問題」と呼ばれたネット炎上事件です。

 『世界』でこの「小山田圭吾問題」について検証されることを希望します。

 「小山田圭吾問題」には『世界』で連載されて話題になった桐野夏生『日没』を思い出さされるディストピアの予兆が見えましたし、『世界』で何度か特集されたインターネット普及後の監視社会化への危惧を呼び起こされる出来事でした。

 SNSの普及で変容したメディア環境が権力に逆手に取られて利用される恐れ。それがオリンピックという祭りの前の狂騒の中キッチュな形で顕現した事象に見えました。

 だから、以前からそういう問題について考察を続けてきた『世界』で、大々的に検証していただきたいのです。

 コロナ禍の中、反対する人も多いのにかかわらず強行されようとするオリンピックが目前に迫り、ネット上、特にツイッターでは気が立ったような雰囲気が充満し、そこに開会式での音楽担当が小山田圭吾であると発表されると、反オリ勢の一部が飛びつくように過去の2chの書き込みを持ち出してきて、一気に炎上しました。そして、新聞などの大メディアはそのネット炎上を追認したのです。

 昔の雑誌のインタヴュー記事から切り貼りしてこしらえられたブログ記事がどんなものだったか、そこから派生した2chの書き込みがどのように2chで流されていたのか。そういうことを一切顧みることもなく、ただ反オリ勢がオリンピックを止められない鬱憤を晴らすために、目についた叩きやすいミュージシャンを蹴殺すような真似をネット上で嬉々として演じたのです。

 私もあのネット炎上に巻き込まれ、はてなブックマークに失礼なコメントを書いたりしました。今ふりかえるとほんとうに恥ずかしいですし、小山田圭吾にあやまりたいです。ほんとうにごめんなさい。

 「小山田圭吾問題」と呼ばれているネット炎上は、大蛮行でした。煽った人はもちろんですが、巻き込まれた人も、あのときのことを省みてください。そして、ネット炎上の被害者となってしまった小山田圭吾が一線に復帰できるようはたらきかけてください。

 切り貼りの元となったロキノンの記事ですが、あれは90年代のサブカルがどうとかとは関係ありません。相手を信用したミュージシャンが、子供の頃のことを聞かれて、ガキのころはいろいろみっともないこともやってましたね、今ふり返るとほんとうにはずかしいです、あのときの相手にこの場を借りてあやまりたいです、と、自嘲的な照れ笑いで自虐を緩和しながら語っているだけ。ああいのは自慢や武勇伝とは言わないし、いじめを助長するような誌面作りにもなっていません。

 大人になってから過去のいじめを自慢したり武勇伝のように語ったのが彼の咎だというのなら、小山田圭吾はそもそもそんなことはしていないのですから、もうこれは冤罪です。

(それにしてもこの件について作家のほとんどがだんまりなのは不気味。小説家は読み手が共軛的になってくれないと話しが通じないようなエッセイをいっぱい書いてきている筈で、その点ではたまにインタヴューに答えるだけのミュージシャンの比ではないだろうに)

 オリンピックも終わり、ネット炎上の火もおさまってから、あのネット炎上に巻き込まれた文化人がぽつぽつとネット上で「小山田圭吾問題」に触れているのを見ますが、自分がネット炎上に加担したのを認めることには抵抗があるのか、いじめ被害者のケアはたいせつでー、と、自身のネット炎上加担から目をそらすように話を転がしていくのですよね。

 いじめは問題で、被害者に対するケアは大事です。そして「小山田圭吾問題」というネット炎上におけるいじめ被害者は小山田圭吾です。

 小山田圭吾の名誉が回復されないままになる、というのは、日本人全体が反省しないいじめ加害者のままでいる、ということです。

 『世界』をはじめ、今回のネット炎上を追認することしかできなかったマスメディアは、この件を検証して、二度とこのようなことが起こらないよう備えていただきたい。

 

 

 

わたしも署名しましたが、ファンの中には予約してらした方もいるそうでMETAFIVEの2nd ALBUM「METAATEM」発売再開を求めます。

www.change.org

 

デザインあ」も、楽しみにしてたお子さんが大勢いるそうです、再開してください。

 

 

 

付記

 「小山田圭吾問題」に絡んで、90年代のサブカルがーという言説がネット上に浮遊するのをよく見かけたけれども、90年代の一部サブカル、とほほ系鬼畜系含めて、ああいうのはゼロ年代にはネットに入り込んでいて、まだアングラ臭がきつかった頃のネット文化の源流はたしかに90年代サブカルになるのかもしれない。だから、件の切り貼りブログや2chの書き込みが、90年代のサブカルがー文脈につながるんじゃないかな、小山田圭吾の方ではなくてね。

 思い出すのは、これもだいぶ前、まだSNSは普及してなかった頃なんだけど、田原総一朗小倉智昭が雑誌で対談してて、「ところでネットは見たりする?」「あーでもネットではうそばっかり書かれてるからなあ」とか言っていたこと。ネットといっても広いしいろいろだろうけれども、2chなんかだと、何か小耳にはさんだウワサの切れ端からスレッドにいる人らが適当に話してるみたいなのがふつうなので、基本居酒屋でのバカ話みたいなノリで会話自体をたのしんでいるから、ほんとにそこだけのやりとりなのが、ま、ふつうですよね。それウソだ! とか目くじら立てて言うような場でもない、そういう場ではないと分からないとバカにされるような場なんだし。

 で、小山田圭吾も、ずっと前からネットで問題にされているのに対応しない、とか一部ネット文化人に言われてるんだけれども、何年も前のインタヴュー記事から切り貼りされて作られた悪口が2chに出てて、なんて知らされても、「?」だったんじゃないかなって。ミュージシャンは本業の音楽をちゃんとやっていればいいというところもあるし、本業については音楽誌などマスメディア上で語ってきていますし、アングラ然とした時代のネットで何か妙なこと言われているとわかったところで、対応のしようがなかったんじゃないでしょうか。

 今回の件で、一部ネット文化人が、ネットカルチャーに疎い人たちに対してそういう事情説明をせずに、まるで小山田圭吾が請願しても対応しようとしない困った人物であるかのように喧伝していたのには失望しました。ネット炎上で人殺せる自分たちに酔ってるようにすら見えましたよ。かつてのマスゴミ文化人の劣化バージョンなんだね、結局。

  自分はいちユーザーでしかないけれども、ああならないように気をつけよう、もうネット炎上には巻き込まれないようにしようと固く自戒しました。