『世界』2023年4月号 小松原織香「災厄の記憶を継承する 第1回 福島・希望の牧場」

 

 著者は小学生のとき神戸で阪神淡路大震災を体験し、子供心に「このことを忘れてはならない、語り継がなければ」と思うが、長じて「語り継ぐ」ことのむずかしさを実感する。そして研究者となり、水俣病の研究をする中で、公害による災禍にみまわれた地域の状況に既視感を覚える。

 この小さなシリーズでは、私のこうした背景を基にしながら、「災厄の記憶を継承すること」について検討する。過去に起きた取り返しのつかないことを、誰がどのように語るのか。人々が黙ることでやりすごそうとしている記憶がある。ほかの人々から受け入れられない記憶がある。私たちにはなにができるのか。それとも、なにもしないほうがいいのか。そんなことを考えていきたい。
(引用元:『世界』2023年4月号 p.30)

 まず、著者が科学研究費のプロジェクトで赴いた福島県浪江町の「希望の牧場」の牛飼い・吉沢正巳へのインタビュー。吉沢は政府の命令に反して警戒区域で牛の世話を続け、毎月渋谷ハチ公前で街頭演説を行い、首都圏に電力を供給していた浪江町の震災による被害状況を忘れるなと訴え続けている。
 この記事で吉沢正巳の思いと現地で見た浪江町の様子を読者に伝えつつ、著者は自問する。災厄の起きた地域について知ったとき、私たちはどうすればいいのだろうか、と。ひとつ、できそうなことに「伝えること」があるが、その地域から逃れられない当事者の言葉を伝えるという行いは、その人たちの言葉を盗み、自分に都合よく消費することになるのではないか。
 著者は研究者として性暴力被害者の研究もしているが、被害者とまでいかなくても女にとっては「言葉を盗む・盗まれる」ということが常態化しており、その波を泳ぎぬけない者は生きるに値しない落伍者として排斥されるのが単なる日常だ。男も似たようなものだと言う人には、男は常に女から「言葉を盗む」のを自然なこととして無自覚に行えている、と言っておく。それがこの社会を成り立たせている大前提・基層であるから、そういうものだといわれればそれまでになるが、しかし、そういう世の中で、言葉で自分を救おうと試みた女がエア・ポケットに落ちたとき、一気に奈落の底まで落とされてしまう事態もあたりまえ・そういうものだと片づけられてしまう。そういう「悲劇」をいくばくかでも減らすことはできないのか。
 だんだん斜め下に感想がずれ込んできてますが、この著者のような研究者が出てくれば、よい方向に変わる面もあるのかもしれない、と思ったりしました。

 次回は、当事者ではない立場で「災厄の記憶を継承すること」を試みる人々の活動に光を当てたい。「私たちに何ができるのか」という問いに対するヒントがあるかもしれない。(引用元:『世界』2023年4月号 p.38)

ぜひ『世界』で読んでみてください。