政治家とNHK

橋下大阪府知事と東国原宮崎県知事が二人いっしょにテレビによく出てくるようになりましたね。志向性が似ていて気が合うのでしょうか。
橋下知事と言えば、最近NHK“遅刻”問題で「もうNHKには出ない」などと発言していました。YouTubeに上がっていた映像を見た限りでは、女性アナウンサーからは特に悪意は感じられず、その場の雰囲気を和ませようとして言っただけというNHK側の説明はその通りなんだろうなくらいにしか私は思いませんでしたが、テレビを観ただけではわからないごたごたがあったのかもしれません。
じゅんさい橋下知事のことですから、この先状況が変わるとまたNHKにも出てくるでしょうし、大してこだわるほどのことではないのかもしれませんね。
東国原知事も、NHK大河「篤姫」で、「島津家発祥の地は鹿児島県出水市」と紹介されていたことについて、島津家発祥の地は東国原知事の生まれ故郷、都城市とする説もあると地元の講演で力説、「もうNHKには出ませんから」という言い方までしていました。テレビで見た限りは客を沸かそうと勢いづいたがゆえの表現だと思えました。
この橋下・東国原強力タッグのことがYahoo!ニュースにも出てました。

 その後も東知事は、唐突に「NHKに文句を言いたい。オレも出ないでおこうと思ったくらい」と、すでに出演したNHK大河「篤姫」で、「島津家発祥の地は鹿児島県出水市」と紹介されたが、自身の生まれ故郷である都城市とする説もあることをアピールしてみせた。この日、同市がNHK宮崎放送局に要望書を出すなど異議を唱えてもいるが、橋下知事のNHK“遅刻”問題に絡めた話題作りは明白。橋下知事も「僕の擁護で始まったと思ったら結局、宮崎のPRじゃないですか」と苦笑するしかなかった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080216-00000098-sph-soci

よくテレビに出てくるお二人ですが、並みのお笑いコンビよりもこの知事タッグのほうが視聴率を稼ぐということなのでしょうか。
しかし、ちょっと気になることがあるのです。
上に引用した部分からもうかがえるのですが、この知事お二人は、NHKに文句をつけたというの得意気に喋っているのですね。
政治家がNHKに文句をつける、といえば、思い出されるのが例のNHK朝日新聞の「番組改変」論争。この発端となったのは、中川昭一安倍晋三など自民党有力政治家が、女性国際戦犯法廷を取り上げたNHKETV特集「問われる戦時性暴力」をなんとかしろと圧力をかけたのかけないのといった疑惑でした。
その後NHKと朝日の対決という様相となり、震源となった政治家たちは後景に退いてしまいましたが、当の政治家はNHKに番組改変をするよう圧力をかけたことはない、と言い張りました。そんなことをしたと公に認めると自分たちが非とされるからでしょう。
番組改変の圧力ということになれば、ガチな領域です。政治家としてやるべきではないことをやったと見なされるとそれをやった政治家が傷つきます。それがわかっているから公に認めるわけにはいかないのです。
さてそれにくらべて、橋下・東国原の「むかついたから、もうNHKには出ません」発言はどうでしょうか。
両人ともテレビを観ている視聴者にしてみれば、タレント時代のお二人の記憶がまだ濃厚に残っておりますし、してみればタレントがなにか番組で気に入らないことがあったので「もう出てやんない!」とだだをこねている、その延長上にある振る舞い、あんまり政治にはつながってこないことで、そのうち気が変わったらまたNHKにも出るだろう、くらいのことに見えてしまったりもします。
しかし、元タレントとはいえ今はお二人とも知事。政治家です。そして、政治家としてNHKに文句をつけて、しかもそのことを公の場で語るお二人の姿を見たかぎりでは、こうすると支持者には受けるだろうと予測した上での振る舞いだとしか思えません。
政治家が気に入らないことをやったとNHKに文句をつける。
これが、なんだかあたりまえの、よくある光景として、マスメディア上で定着しようとしているのです。
中川昭一安倍晋三などだとガチすぎて角が立ちますが、タレント上がりの橋下・東国原はお笑い風味で角を丸めてすり抜けて行ってしまうのです。
むしろ世間のほうが先に変質していたのかもしれませんね。橋下・東国原はそういう世間の空気を読んだ上で出てきた政治家なのかもしれない。
安倍政権が敬遠されたのは、その志向性が反発されたというだけではなくて、ある人々から見た場合は、できれば隠しておきたい自分たちの本性をあまりにもまっすぐに露にしていたからなのかもしれません。
もっとも、ミーハーは飽きっぽいですから、橋下・東国原もそのうち飽きられて終わりなのかもしれないですけれども、テレビでこのお二人が適度に笑いをとりながら喋ってるのを見ると、タカ派な物言いは一般人になんら抵抗なく消費されるほどあったりまえになってしまったということなのかな、と思ったりしますね。
「保守」や「タカ派」は陳腐になった。陳腐になるほどにもあたりまえにそこらに浮遊するものになってしまっているのです。