蝶々夫人

アルファあなぶきホールにて、オペラ蝶々夫人を観る。かがわ文化芸術祭2008閉幕公演
蝶々夫人は林康子、ピンカートンには岡田尚之。
低い竹の垣で囲まれた春の日本の花が咲く庭、そこに建つ日本家屋、昼間から日が暮れて夜になるとそれだけで舞台の雰囲気も変わっていきます。
蝶々夫人のかわいらしい感じと舞台の花の印象がよく合っていて、しかし父親が武士だったこともあるのか、彼女の気性には強情で激しいものも宿っているのですね。親類縁者から絶縁されてしまっても自分を曲げないし、ピンカートンへの愛もいったん信じたら一途に信じる。疑うのが裏切りになるとでも思っているかのように。
同時に、孤立してしまった自分の境遇がどんなものかも見えていて、だから子供のことを心配してもいるのです。
林康子の歌は蝶々夫人のことばとして自然に物語の響きを伝えてきます。有名なフレーズだけがポンと目立つということなく、全体がひとつの流れとして聴こえてくる。ピンカートンの乗った船が港についたのを遠眼鏡で見て、会いに来てくれるとわくわくして花嫁衣裳として着た白い着物を羽織りますが、内側は鮮やかな紅色。彼女の気持ちをそのまま表しているように見えました。ピンカートンを迎えるためにと畳の上に桃色の花びらをまくところ、赤ではなくて、桜や桃の花の色が広がるところがなんとも可憐。
オペラだと、音楽聴いているだけで気持ちがよかったりしますが、今回は日本が舞台となっていましたので、着物をきれいにきて所作も自然な日本人が芝居を見せてくれるというのもありました。スズキとゴローは特に動きがよかった。ゴローはいってみれば女衒みたいなことしてるんだろうけれど、着物の上にさらっと燕尾服羽織って、それが妙に軽いかんじでよく似合っていて、それで歩き方のパタパタしたところ、歌舞伎でもこの手はよく出てくるなと思いました。
このオペラですが、私は以前テレビで林康子が海外で蝶々夫人を演じるときは、衣装は全部こちらから持っていく、あちらの人にまかせると着物もカツラもとんでもないものが出てくることが多いから、と語っていたのを思い出しました。
日本では、美術も衣装も役者さんも、おはなしの舞台になった昔の日本の様子を活かしてうまくできますが、海外ではどんなふうになるんだろう。おはなしの世界だからということで、架空のニッポンを造形してしまうのも舞台なら有りだとは思いますが、外人はまずゲイシャのことよくわかってないなというのがありますから。
林康子みたいな存在が、正統な日本の美しさを伝えてくれる役割も果たしてくれているのかもしれません。