「共同体」という羊の皮

上のことばを、なんとなく、思いついた。
前に "「ファシズム」のインフレ?" という記事を書いたのだが、さすがに「ファシズム」なる語は負のオーラが強すぎるので、流行語としてはそのまま使用できそうになく、「ファシズム」という含意のある志向性をくるむ糖衣として「共同体」ということばが採用されるのではないか、そんな気がしてきたからだ。
学問では、その分野や議題に応じて "共同体" という語が何を意味するか定義された上で使われるだろうが、一般人がだれでも目にするマスメディア上の時事放談では、何を意味するのかは曖昧なまま、話をつなぐのに重宝な言葉として「共同体」という語が便利に使いまわされるようになるのではないだろうか。
なんでいま「共同体」なんぞということばがよく目につくようになったのか。その理由として最も重いのは、マスコミ文化人と呼ばれる立場にいる目立つ人々の中に芽生えた不安だろう。それは彼ら特有の事情が大きく、一般人にはじつはあまり関係ない類の不安なのかもしれないのだが、マスメディア上で発言力を持つ方々は、なんだかんだいっても世間に対して影響力を持っている。
自己責任とか自助努力という言い方が一般人も簡単に使える程度には広まったように、これからは共同体だからどーたらかんたらという言い訳や屁理屈が流行るのかもしれない。