ザ・ロード

DVDで鑑賞。
文明が消滅した後の世界で、父と子が南を目指して歩く。
文明が消滅してから十年余りが過ぎた。灰色の雲に覆われ木々も枯れ始めた世界。気候は寒冷化が進み、生き残った父と息子は南を目指して歩いている。荒れ果てた世界で生き延びた一部の人間たちは人食いと化していた。
父は息子を守り、私たちは善き人なのだから、人食いのようになってはならないのだと息子に教える。
何故終末の世が訪れたのか、劇中でははっきりとした説明はない。廃墟と化した街の光景は、津波に襲われたあとの東北の町の眺めと非常によく似ており、陸に船が乗り上げている様子などから、天変地異によるものと想像される。この物語では、何故こうなったかは語られず、既に現世が終わった後の世に生きる人々の姿が描かれる。
滅びの後の世界は全体に灰色がかった色調の中に微かに残った緑の気配が感じられる。寒そうな荒れた風景に、父親を演じるヴィゴ・モーテンセンの北欧顔が映える。
父親が回想する妻といっしょだった現世の記憶の映像は鮮やかな色彩に満ち、また終末が訪れてからしばらく妻と共に身を寄せ合って暮らしていた頃の記憶は、ろうそくの赤味がかった暖かそうな灯で照らされている。妻は息子を産んだものの、滅びへと向かう世界で生きることを拒否し、一人で去ってしまった。
残った父と子は、灰色の世界を二人で歩いていく。
文明が消滅した後の荒野と化した世界というのは、神話の世界を思い出させる。現代人が人の世のわずらわしいきまりごとの枠から解かれて振る舞える舞台となる。そこでは人が生きるための倫理も純朴に表れ得る。西部劇の舞台となる荒野とも似ているかもしれない。神話的に単純化した人の姿を描くことができるのだ。この映画は西部劇というよりは、意匠からヨーロッパの伝説の世界を連想させられた。
モーテンセン演じる父親からは、父性に収まりきらない子供への執着を感じたが、これは最近のアメリカ映画にしばしば出てくる男性キャラに見られる傾向だ。この作品では、主人公の父子の他にも「善き人」がいることを示唆して希望をつないでいた。
物語の舞台となる光景が、東日本大震災の被災地を思い出させると書いたけれども、映画で描かれた景色は劇の背景としてちゃんと芝居をしており、ニュースで観る現実の被災現場の映像とは似て非なるものだ。少なくとも私にはそう見える。これは、現実の死体写真と、映画の中で劇的に登場する血塗れの死体の印象が異なるのと私にとっては同じでした。
この映画の中では、世界が滅んだ後の海は父親が昔見たような青々としたものではなく、終末の世にふさわしい灰色がかった眺めになってしまっているのだけれども、東北の被災地では映像で観る限り、津波が去った後の海も空もただただ美しい。人の思いとは無関係に輝いている。映画の中に出てきた老人とはちがった神への印象を私は持つ。
そして、劇中、息子がぬいぐるみをしっかり同行させているのに心をうたれました。お父さん、あなたはまちがっていなかった。あれはいい息子さんですね。