村上龍「オールド・テロリスト」第六回 文藝春秋2011年11月号

感想をずっとはてなハイクに書いてたんだけれども、(http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E9%BE%8D)長い文章はダイアリーに書くことにした。
NHKテロの謎を追う関口は、調査目的で訪れた老人たちの集うカラオケを出た後、上着のポケットにメッセージが書かれた紙が入れられていたことに気づく。その紙にはマイクロフィルムも貼り付けられていた。編集部の若手でデータの扱いにくわしいマツノ君の協力を得て、マイクロフィルムの情報を読み出したところ、子供が描いたような稚拙な絵とひらがなの文言が。
マツノ君と共にある商店街に足を運んだ関口。彼はそこでまた事件の目撃者となる。
物語の世界は数年後の日本。関口は落ち込んだ中年の元週刊誌記者で、いまは臨時雇いのルポライターとしてNHKテロを追っている。マツノ君と関口の会話に沿って、数年後の世界情勢が描かれているのだが、村上龍の不吉な直観力をこれまでなんども味わってきたファンとしては、おもしろがるだけじゃすまない不穏なものを感じる。
大学で組織論も勉強したというマツノ君が、アル・カイーダをアメーバのような組織だと説明し、関口はあのカラオケで会った老人たちの集まりもそうなのかもしれないと想像しはじめる。この物語をここまで読んできた私の感想としては、アル・カイーダのように組織化された「ソウ」のジグソウみたいな老人の群れの存在を予感してしまう。
数年後の日本を描く形でいまの日本の各面が批評的にあぶりだされているのは、笙野頼子のだいにっほんシリーズと似ている。元週刊誌記者の関口が主人公ということで(狂言回しかな)、村上龍の週刊誌的俗っぽい嗅覚がすなおに発揮され、娯楽色の強いおもしろさでひっぱっていってくれる。
描写力はさすが、なにか日頃自分がかんじていることをことばですらっと言ってくれたような気がすることもしばしば。でも、これは、読む人によってそれぞれかな。私は村上龍の小説と相性がいいので、共感する部分が多いんだろう。
次がどうなるか楽しみだ。