村上龍「オールド・テロリスト」第七回 文藝春秋2011年12月号

NHKでの事件に続き、池上商店街での刈払機テロの目撃者になってしまった関口は、警察の事情聴取で電話で犯行予告を受けたと話したが、駒込のカラオケ教室で出会った老人たちのことは言わなかった。あの老人たちと事件は関係があると関口は直観していたのだが、証拠はなく、自分の情報源を失うのも避けたかったからだ。
池上商店街で犯行直後に声明を読み上げて自殺した犯人は、経歴を見ても何も目立つところのない平凡な青年だった。NHKテロのときと同じだ。
事件後PTSDに悩まされ、精神安定剤を常用するようになった関口のもとに、またカツラギという女からメールが届く。……
関口とマツノ君が事件について語り合う中で、犯人はうつ病だったが、それが犯行に関係しているとは思えない、うつ病はすごく多いし、今元気なのはバカだけだもんなあとマツノ君が言うのだが、関口は同意しながらも、バカだけではない、他にも元気な連中はいると、駒込のカラオケ教室の老人たちを思い出す。
このくだりを読んでいて、ふと、私も元気といえるほどではないけれでも、関口とマツノ君から見ると、バカかカラオケ老人か、どちらかの類になるのかもしれないなと気づいた。
この関口は『希望の国エクソダス』でも狂言回しをつとめた人物なのだが、あのころの関口は元気だった。私と同年代といっていいのだが、バブルの時代はかしこい若者としてそれなりに楽しく時流に乗って、落ちこぼれた同世代を見ながら「ああなってはおしまい」「ああいうのとはオレはちがうぜ」と自然に思えていた人なのではないだろうか。それが、時を経て、失業し、妻子に逃げられ、落ち込んだ状態になって元気がなくなっているのだ。
私はバブルの時代に落ちこぼれになっていたし、元気だった方たちが落伍者に烙印を押して回るのがいかにお好きだったかをよく覚えている。傍からどう見えようと自分なりに楽しみを見つけながらやってきて、今も相変わらずその調子でやっているのだが、関口みたいなのからすれば、何が楽しくて生きていられるのかよくわからないかもしれない。あんな風なくせにうつ病にもならないなんてあれやっぱりバカなんだろうな、そう見えるのかもね。
ところで、村上龍はこれまでの小説で老人に対して「何が楽しくて生きていられるのかよくわからない」という目を向けて書いていることが多くはなかっただろうか。若い頃の感想としてはそれはそれで素直なものともいえるが、自身も加齢し近づいてくる老いを意識する年齢になっている筈で、そうなると少し老人に対する見方が変わってくる、というのもあるのかな。
小説を読んでそんなことも想像してしまった。おはなしがおもしろければどうでもいいようなことではある。そういえば、大友克洋のマンガでも、しばしば老人が活躍していた。あれは子供と同様に大人社会の外にいる存在として出てきていたと記憶するが、駒込のカラオケ教室はもっと生臭く、いまでも社会の一員として活動しているような人も混じっていそうだ。
今回、カツラギが「ごきげんよう」と言うのだが、初回でNHKテロ予告の電話をかけてきた老人の言葉遣いが古風な山の手ことばのように聞こえたことを思い出させる。
次はどうなるのかな。