キラー・インサイド・ミー

DVDで鑑賞。
保安官助手が殺人衝動に突き動かされる。
1950年代の西テキサスの田舎町。保安官助手のルー(ケイシー・アフレック)は、町外れに住む売春婦(ジェシカ・アルバ)に立ち退くよう申し渡しに行く。怒った売春婦がルーの顔を叩いたとき、彼の内部に眠っていた欲望が目を覚ました。ルーは女をつかまえベルトで打ちのめすが、そのまま二人は愛欲に溺れる。ルーは婚約者(ケイト・ハドソン)がいるのだが、売春婦とも頻繁に密会するようになった。
呼びさまされたルーの欲望は殺人衝動と化す。誰もが顔見知りの小さな田舎町で、もうひとつの顔を隠し持つことになったルーは、女をきっかけに破滅への道を歩み始める。……
物語の舞台となるテキサスの田舎町がいい。明るい陽光の下、古風な礼儀正しさが日常習慣として残っているのどかな町には爛れた空気も流れている。田舎はどこでもそんなものなのだろうけれども、カントリーミュージックが自然に溶け込む風景の中で時にそれがデカダンにも響く、そんな雰囲気はテキサスじゃないと絵にならない。
主人公のルーは、自分の中に潜む悪を自覚しており、しかし二重人格というような分裂は見せず、ごく普通の常識人が考えるように、悪をはらんだまま社会人として破綻することなくやっていこうとしている。そのあたりが異常者なのに妙にリアルな生活者として観る者に迫ってきて、怖さが深まる。
劇中の描かれ方から、ルーの殺人衝動は性欲と結びついていることが伺える。SMという様式にはまることができれば、同好の相手と協調しながらやっていけるのかもしれないが、この映画の中のルーは、そういう形で治めることができない衝動の持ち主に見える。ルーを演じたケイシー・アフレックが見事。愛情も持ちながら人の道を外れざるを得ない歪んだ人格を体現。幼少期のトラウマとか、わかりやすい説明では到底割り切れない、生々しい人間像を見せてくれていた。
ケイト・ハドソンジェシカ・アルバは、田舎町で倦む美女を好演。町の大立者の役でネッド・ビーティが出ているのもうれしい。

追記 2012-08-19

上で「愛情も持ちながら」と書いてしまったけれども、それは何かちがうな、と読み返して思った。まずい言い方でしたね。
通常の人が持つ愛情というのは彼の中には宿っていなさそう。ルーは、女性二人を憎んでいるわけではないのですよね。好きなのかと聞かれたら彼は「好きです」と答えるし、そこにウソはない。でも、他の大勢の人たちが「好き」というとき共有しているであろう気持ちとはズレている。
当人がそういう致命的なズレを自覚し、この町から逃げたところで自分からは逃げられないんだと気づいてしまったから、ああいう結末に至ったんだと私は思いました。
あの決断で、彼はノワール・ヒーローにはなれたんじゃないかな。