勢いづく改憲派

今回の尖閣諸島をめぐるごたごたで、勢いづいているのは改憲派。かつては自民党内にも護憲派がいたのだが、最近はめっきり影が薄くなったように見受けられる。
私も一時は改憲派だったのだが、いまは懐疑的である。時事問題についていろいろ読むと、改憲を急ぐ人たちというのは、それで得をする人たちが多くて、むしろ護憲派の方たちの言い分をよく知らないとあぶないと思うようになってしまった。
仮に改憲したところで、そのとき最高司令官がのぶてるだった、とか、想像もしたくない事態だしね。
そして歴史の本を読んでいるとこんなことが書いてあったりする。
中央公論社『世界の歴史 26』からの引用。文中の「共和国」はワイマール共和国。

共和国の意図せざる守り手――ヴェルサイユ条約
共和国を支えたもう一つの要因は、通説とは異なるがヴェルサイユ体制であった。ドイツから植民地を奪い、エルザス=ロートリンゲン(フランスではアルザス=ロレーヌ)や東部領土の一部を周辺国に割譲させ、軍備制限や巨額な賠償金を課した、これがいまも日本の教科書などでみられるヴェルサイユ条約の評価である。ナチスの台頭と共和国崩壊の原因をヴェルサイユ条約に求める説明もまだお目にかかる。
しかし、講和条約による一方的被害者ドイツというイメージを世界に広めたのは当のドイツ自身であり、当時のドイツ歴史学会も一種の国家事業として、ドイツの戦争責任を否定する論陣を張った。このイメージはまったくの誤りではないが、当事者の主張に依拠したものだということも確認しておきたい。
近年の研究は、ヴェルサイユ条約がドイツにきびしい負担を与えたことを認めながら、経済力を含めてドイツを潜在的大国として存続させ、ドイツ国内の復古も革命も許さず、現状を固定する機能、つまり共和国を維持する役割を果たした点に注目している。西欧諸国の疲弊、東部でのロシア・オーストラリア両帝国の消滅と弱小新興国家群の成立で、ドイツの国際的地位は必ずしも不利ではなかったとも指摘されているし、賠償問題のように外圧が強い間は、共和国政府は国民の圧倒的多数を結集できた。ワイマール国家離脱の動きやナチスの台頭は、むしろヴェルサイユ条約の負担が軽減した時期に起こっているのである。
(引用元:『世界の歴史 26 世界大戦と現代文化の開幕』中央公論社

このあと当時外相をつとめたシュトレーゼマンの孤独とがんばりが記されている。しかし、彼は1929年に死去。死の前年の総選挙の際には「われわれは議会主義の危機のまっただなかにいるのだ」と警告を発している。

世界の歴史 (26) 世界大戦と現代文化の開幕

世界の歴史 (26) 世界大戦と現代文化の開幕