マスの仮面

 

世界 2020年 07 月号 [雑誌]

世界 2020年 07 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/06/08
  • メディア: 雑誌
 

 

もう8月号が出ているので、7月号は先月号になってしまいますが、『世界』7月号では特集2「共犯のマスメディア」があり、ネット利用者なら一読しておく価値があります。

 河原仁志「デジタル・メディアとアナログ・ジャーナリズム」では、新聞記者としての過去の経験を振り返りながら、取材して事実を読者に届けるとはどういうことか、その際受け取る読者側のことも考慮しつつジャーナリズムとして機能するには何に注意すべきか、そしてもはや無視できない環境となったSNSにどう対処すべきかということが語られています。

 立岩陽一郎「危機に自ら陥るマスメディア」では、主に官邸の取材で、質問数が制限されるなどだんだんに取材がむずかしくなってきている現状を伝えてくれています。

 そして、特集本体ではありませんが、関連するものとして、SEKAI Review of Books で、山田健太が「メディアの変容と民主主義」と題して、中川一徳『二重らせん 欲望と喧噪のメディア』講談社下山進『2050年のメディア』文藝春秋、を取り上げて評しつつ、日本の新聞、テレビという大メディアの成り立ちと、今後について意見を述べています。

 山田健太によれば、日本には米英のような高級紙という類の新聞はなく、朝日にしろ大新聞は中間層向けの新聞で、「いつでも、どこでも、誰でも、簡単に知識や情報が手に入る」ことをあたりまえのこととすることで戦後民主主義を担う大きな力となってきた、そのためには宅配でほぼ全域の世帯に新聞が届いているという事実が必要であったと書いています。大部数であることによって支えられた力で民主主義を守る、ということになりますね。

 新聞よりさらに大衆メディアとしての性格の濃いテレビも、NHKは受信料制度で、民法はスポンサーがつくことで無料で、日本では全国どこででも誰もが視聴できる環境ができています。いつでも、どこでも、誰でもが簡単にアクセスできる情報源として、たしかに大衆に恩恵を与えてきました。

 ところが、インターネットの普及以来、その地盤が揺るがされつつあり、受け取る側の大衆の意識も変化してきています。これまでのやり方のままでは先がない、という意見は業界内部からも出てきて、どうすればいいか模索中ということですが、ここで拙速にこれまでのやり方を古いと決めつけていいのか、というのが評者の意見です。

 新聞など取材のために政治家とのパイプも作らねばなりません。それが露見したとき、癒着だなんだと叩かれることになりますが、そういうつながりを保ったうえで、しかしジャーナリズムとして機能すべきときは機能する。それができることを可能にするのが、どの家庭にも宅配される新聞の大部数、そしてどこの家にもテレビがある、という日常風景であった、というのです。

 伝統的なメディア企業はこれまでも、こうした建前(理念)と本音(実態)をうまく使い分けながら、「公共的なるもの」をかろうじて守ってきたわけだ。「衣」を脱ぎ捨て「金儲け」という実態に合わせることは、確かに現実的ではある。ただしそれは、世間に慣れていない頭でっかちの書生が激しい戦いの場に丸腰で出ていくようなもので、たちどころにビジネスの洗礼を浴びて息絶えることだろう。
 このことは、「仮面」であったにせよ日本社会における公共性を有していたジャーナリズム活動が一気に弱体化することを意味しないか。この「仮面」は、「マス」であることによって被ることができたものだ。そのマスであるための下限として、世帯数の過半という設定はわかりやすい指標だろう。半分以上の家で紙の新聞を取っている、半分以上の居間にテレビ受像機があって大方の人が受信料を払っている、という日常的風景だ。この絶対的な下限がなくなれば、日本型の民主主義維持装置として、社会制度に組み込んできたメディアへの特別扱いは根拠を失う。デジタルの世界で新聞社や放送局だけに、あるいは逆にIT企業にも範囲を広げて同様の措置をとることも考えづらい。

 (引用元:『世界』2020年7月号 山田健太「メディアの変容と民主主義」p258) 

 

「マスの仮面」というのは、ちょっと乱暴な造語になるでしょうか、でも、マスの仮面を被ると発揮できた力があった、というのは、まことに日本の戦後民主主義的光景ですし、わたしたち一般大衆にとっては否定的な面よりも肯定的な面の方が大きかったはずです。

 しかし、やはり80年代あたりからでしょうか、そうも簡単に言えなくなってきたのは。ジャーナリズムは、まだ事実を伝えねば、裏をとらねば、という重しがありますが、そうではないサブカルチャー、バラエティ方向であればそれもいらない。そして、80年代バブルは余剰な金が回るところには回りましたから、めんどくさいこと考えなくても困ってないけど、という大衆的日常があふれて、それで、その負の面というのが深く地盤に浸透していく。

 そのつけは、やはり弱い層に回りますね、要領のいいできる人はさっと安全圏に逃げられるので。まじめに社会問題に取り組もうとするジャーナリストは、苦境に取り残された人たちのことも取り上げようとする人たちのことになります。

 

 インターネットではマスメディアに対してシニカルな意見のほうが優勢な印象が強いので(わたしが見る場所が偏っているのかもしれませんが……また、私自身、自分の感想としてそういうことを書いてもいるんですが、それだけに)、もう一度、新聞やテレビのニュースについて、見直そう、という気持ちになっています。SNS上でサバクトビバッタ現象が頻発していると見えるようになったせいもありますが。

 『世界』7月号の記事、ぜひ読んでみてください。

 

 あと、前に図書館で読んだのですが、次の本もおもしろかったです。メディアについて考える際、読んでおいて損はないです。

 

シリーズ日本の近代 - メディアと権力 (中公文庫)

シリーズ日本の近代 - メディアと権力 (中公文庫)

  • 作者:佐々木 隆
  • 発売日: 2013/07/23
  • メディア: 文庫